
東電、リクルート、4大証券会社が頼った“情報屋” 日本経済界の裏側で暗躍した「兜町の石原」とは
#本

一般的に「情報誌」といえば、「ぴあ」や「東京ウォーカー」などを思い浮かべる人が多いだろう。しかし「兜町の石原」こと、石原俊介が発行していた「現代情報産業」は、そんな雑誌とは一線を画す“情報誌”だ。発行部数は1,000部にも満たず、価格は法人の場合で年額12万円。だが、内容はわずか7ページあまりの冊子にすぎない。
しかし、ここには「プロ」たちが喉から手が出るほど欲しがる情報が詰まっていた。
伊藤博敏氏によるルポルタージュ『黒幕 巨大企業とマスコミがすがった「裏社会の案内人」』(小学館)は、この石原俊介の半生に迫った一冊。平和相互銀行事件、リクルート事件、総会屋利益供与事件、山一證券の経営破綻などの有名事件の陰で、「兜町の石原」は情報を収集し、重要な働きを行っていた。
リクルート、東京電力、野村・日興・山一・大和の4大証券、第一勧業銀行といった日本でも有数の企業が頼り、多額の顧問料で遇した石原。情報に対するその比類なき嗅覚は、日本を代表する企業の幹部から、新聞やテレビ局各社の記者、政治家、検察関係者、そして暴力団、右翼といったアンダーグラウンドの勢力まで、あらゆる人間が認めるところであり、石原の事務所はさまざまな人々が押しかける「情報交差点」として機能する。毎晩のように銀座の高級クラブで豪遊しながら、企業幹部や政治家から得た「生の情報」は、その道のプロフェッショナルですら舌を巻くものだった。
では、石原はどのような情報を収集し、どのようにして暗躍したのだろうか? 本書から、その実例を引いてみよう。
1997年、日本の金融界は揺れていた。総会屋・小池隆一に大手証券会社が利益供与していたことが発覚し、これが第一勧銀にも波及。歴代の経営陣が逮捕される事態に発展した。この時、第一勧銀の顧問に就任していた石原の活躍を知るのが、当時・同行に勤務していた小説家の江上剛だ。石原はこの事件が表面化する前から、独自の情報ルートで「事件になる。早く準備を進めたほうがいい」「一勧は大変なことになるぞ」と、江上に忠告している。野村證券に疑惑の目が向けられた段階から、石原は事の成り行きを正確に読んでいたのだ。
さらに、検察とも通じ、捜査情報を入手していた石原は、江上に対して「地検の強制捜査は5月20日だ。準備しておいた方がいい。特捜部は、頭取クラスまで(逮捕して)持って行きたがっているぞ」と、強制捜査の1週間前に電話をしている。おかげで、江上は役員や部長クラスに対して「強制捜査の心得」をレクチャーし、幹部の逮捕後に備えることが可能となった。
リクルート事件は、1988年に発覚した未公開のリクルートコスモス株を政治家に賄賂として譲渡した事件であり、中曽根康弘前首相(当時、以下同)、竹下登首相、宮澤喜一副総理・蔵相、安倍晋太郎自民党幹事長、渡辺美智雄自民党政調会長といった政治家の関与が取り沙汰された。この時、リクルートの顧問を務めていた石原の動きを、事件関係者は「石原さんがいなかったら、事件そのものがなかったかもしれない」と述懐する。
この事件では、日本テレビによって、リクルートコスモス社長室長の松原弘が、社民連の楢崎弥之助代議士に現金贈与を申し出る映像の隠し撮りが図られていた。この事実をつかんだ石原は、リクルート広報課長に対して「気をつけろ」と忠告していたにもかかわらず、松原は楢崎代議士に現金を贈って封じ込めを画策する。そして、その時の映像が撮影され、ニュース番組で放送されたことから大問題に発展した。石原の持つ情報を、リクルートは正しく使うことができなかったのだ。
だが、「気をつけろ」と言う石原の言葉は、事件をもみ消すことや圧力をかけろという意味ではない。その証拠に、石原は、顧問を務める企業であっても、「現代情報産業」に事件の全容を書き続けた。彼は、自分の仕事を「今そこにある危機を伝え、どう対処するか」であると生前に語っている。2000年代、原発不祥事に揺れる東京電力の社員に対して、石原はこんな檄を飛ばしていた。
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