台湾の無名校が夏の甲子園で決勝進出していた!? 感動秘話『KANO ~1931海の向こうの甲子園~』
#映画 #インタビュー #台湾
■あの時代、台湾は思春期真っ盛りだった
──嘉農ナインを野球のことしか考えていない野球バカではなく、農業校の生徒としての側面を描いていることも印象的です。彼らが近藤監督と同じように尊敬していたのが、水利技術者の八田輿一(大沢たかお)。当時の台湾は鉄道網や農業水路といったインフラが整備され、産業面が飛躍的な成長を遂げた時代でもあったわけですね。
ウェイ 八田輿一と嘉農に交流があったという資料はなく、そこは僕の創作です。八田輿一はアジア最大となる鳥山頭ダムを建設するなど、台湾の現代史を語る上で非常に重要な人物です。以前から僕はずっと八田輿一のドラマを作りたいと考えていたのですが、彼が手掛けた水利工事はあまりにもスケールが大きすぎ、一本の映画として描くことは困難でした。それで映画の舞台となる嘉義という町に八田輿一は深く関わっていたこともあり、あの時代を描く上で彼にまったく触れないのもおかしい、きっと八田輿一と嘉農はお互いに気になる存在だったはずだと考えて、両者が交流するエピソードを加えたんです。
マー 八田輿一は台湾ではとても有名な日本人。僕が学生時代に使っていた教科書にも載っていたほどです(笑)。逆に近藤監督は今までまったく無名の存在でした。『KANO』が公開されたことで台湾野球界における近藤監督の業績が再評価されるようになり、昨年から始まった台湾野球の殿堂入りの候補にも挙げられました。『KANO』という作品は、歴史上の有名人と歴史から忘れられていた無名人と双方にスポットライトを当てた形になったんです。
──『KANO』は各方面にいろんな影響を与えているんですね。『KANO』がヒットしたことで、台湾における日本統治時代のイメージが変わった部分もあるんでしょうか?
ウェイ 台湾の人々の歴史観は心情的な部分で多少は健康的になったといえるんじゃないかと僕は思っています。というのも、それまでの台湾では日本統治時代の日本人はみんな悪者だと考えられていたからです。日本人は憎むべき存在であり、それに異議を唱える輩は愛国者ではないと責められる傾向があったんです。おかしな状況だったと思います。『KANO』が公開され、台湾でも「日本人を美化している」という声が一部ではありました。でも、『KANO』は日本人を美化して描いているわけではありません。ただ歴史的な事実を公平に描きたかっただけです。実際にあった素晴しい出来事をわざわざ貶して描く必要はありません。よく僕は例えるんですが、日本統治時代の台湾はとても面白い時期だったと思うんです。オランダ領時代の台湾はまだ生まれたばかりの赤ちゃん、清朝時代は少年期、そして日本統治時代は思春期だったんじゃないかと。思春期の感情はとても複雑で、反抗心がいっきに爆発することもある一方、真っすぐな気持ちで新しい仲間と手を結び、何かに打ち込むこともできる。台湾の歴史を振り返る上で、あの時代はアジアと欧米の文化が入り交じった面白い時代だったと感じています。民主化が実現した1997年以降の台湾はようやく大人になったと言えるでしょうね。
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