「たかじんのようには……」こちらは遺産問題も大丈夫!? 故・高倉健さんに“養女”報道
#出版 #元木昌彦 #週刊誌スクープ大賞
私が彼女をすごいと思ったのは、ブロードウエイミュージカル『CHICAGO』に出演したときだ。
米倉はオフで観た『CHICAGO』に感動し、いつ来るともしれないチャンスに賭けて英語の勉強を始め、ダンスレッスンをしてチャンスを待つが、なかなかOKは来ない。
それでもチャレンジし続け見事『CHICAGO』の主演を勝ち取るのだ。
恋多き女でもある。サッカー選手の中田浩二、市川海老蔵、岡本健一などと浮き名を流した。
いま同棲しているのは一般人だという。米倉の2歳下で、元リクルートの営業マンだったのが2年前に独立した。
酒好きで見た目は遊び人のように見えるが、考え方は堅実だとリクルート社員が話している。
彼は昨年6月に自宅住所を米倉が住むマンションに移しているそうだ。渦中の人物にインタビューしている。
「話す筋合いでもないし、話さないです。肯定でも否定でもなく」
と、多くを語らないが情報は正確なようだ。
来年40歳になる米倉は月収がゆうに1,000万円を超えるそうだが、文春が報じた翌日、米倉涼子が一般人の男性と結婚したと所属事務所が発表した。この記事が出たことが二人の背中を押したのであろう。
現代の児島美ゆきの告白に続いて文春は「高倉健に養女がいた!」というスクープを飛ばしている。
彼女はTさん。元女優で現在50歳になるという。健さんが正式に養子縁組をして彼女を養女にしたのは昨年5月。健さんは「長年世話になった人に財産を残したい」といって弁護士に相談したという。
遺書もある。葬儀は「戒名なし、葬式なし、散骨を希望する」というものだそうだ。Tさんは健さんの食事や洗濯、掃除など身の回りの世話をして、時には相談相手になるなど、健さんに影のように付き添っていた。
「彼女が健さんの“特別な存在”だったことは間違いない。健さんとTさんは年齢差が三十三歳あるが、妻であり、母であり、娘でもあったのかもしれない」と文春は書いている。
11月に再入院後、寝ている高倉の頬にTさんの涙がこぼれたとき、彼はこういった。
「どうして泣いているの? 僕は家に帰るんでしょう。おかしいよ、泣いたりしたら」
Tさんは「その会話の後、高倉は私の涙をそっと指で拭ってくれて、ひとこと『ありがとう』と。滅多に聞かれなかった言葉でした」と声を震わせたという。
文藝春秋に発表した高倉の手記も、Tさんが病室で口述筆記したものだった。
私も行ってみた、京都の行きつけの喫茶店「花の木」に掛かっていたジャン・ギャバンの白黒写真を寄贈したのは健さんだった。
「ジャン・ギャバンは亡くなられたとき、フランス海軍によって散骨が叶いました。『憧れるなぁ』という言葉が耳に残っております。
折に触れて、『人は必ず死ぬ。死なない人間はいないんだ』と話しておりました。病気になってからではなく、死後のことは、『Tに任せる。僕のこと、よく知ってるでしょ』と。責任を痛感しております」
Tさんという人を、健さんはとても信頼していたんだろう。なぜかホッとする。
健さんが可愛がった俳優・石倉三郎が結婚したとき、ペンダントが贈られてきたそうだが、そこに書かれていた健さんの言葉がいい。
「冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、競わず、争わず、もって大事をなすべし」Tさんなら、やしきたかじんのように遺産相続で揉めることはないだろう。
(文=元木昌彦)
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