高倉健主演のワーナー作品『ザ・ヤクザ』がDVD化 健さんがハリウッド映画に与えた影響とは……?
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エキゾチックな世界観に加え、健さんが最後に指を詰めるショッキングな人体欠損シーンもあり、『ザ・ヤクザ』は米国をはじめ世界市場で興行的な成功を収めた。残念ながら当時の日本では実録ヤクザ路線『仁義なき戦い』(73)が人気を呼び、健さんが演じた古風なヤクザ像は飽きられていた。また“日本のヤクザは武士の末裔”と言わんばかりのシュレイダー兄弟の過剰な日本文化びいきがマイナスに働き、わずか4週間で劇場公開は打ち切られてしまった。だが、健さん主演の『ザ・ヤクザ』は一過性の消耗品に終わらず、その後のハリウッドに多大な影響を与えることになる。
作家の処女作には、その作家のすべてが詰まっていると言われる。ポール・シュレイダーにとって脚本デビュー作となった『ザ・ヤクザ』にもそれは言える。『ザ・ヤクザ』が興行的に成功したことで、『ザ・ヤクザ』と同時期に書いていた『タクシードライバー』も映画化されることになった。『ザ・ヤクザ』は太平洋戦争で終戦後も6年間にわたって南洋のジャングルを彷徨った田中健が平和な日本社会に溶け込むことができず、ヤクザ相手に情念を爆発させる。『タクシードライバー』の主人公トラヴィス(ロバート・デニーロ)はベトナム戦争に海兵隊として従軍するも、復員後は不眠症に悩まされ、深夜タクシーでしか働くことができない。孤立感を深めていくトラヴィスは、13歳の娼婦・アイリス(ジョディ・フォスター)をポン引きのもとから救い出すという強迫観念に取り憑かれる―。いわば、『ザ・ヤクザ』の健さんと『タクシードライバー』のトラヴィスは義兄弟の関係なのだ。健さんが欧米人には理解しがたい仁義を貫くように、トラヴィスは自分なりの正義をまっとうする。『ザ・ヤクザ』の成功がなければ、『タクシードライバー』はもっとチープなB級バイオレンス映画になっていた可能性が高い。マーティン・スコセッシ監督もロバート・デニーロもジョディ・フォスターも、ブレイクの仕方は違った形になっていただろう。
ポール・シュレイダー脚本作では『ローリング・サンダー』(77)もカルト的な人気を誇る。『ローリング・サンダー』の主人公も戦場帰りの男だ。ベトナム戦争で捕虜として7年間を過ごしたレーン少佐(ウィリアム・ディベイン)は英雄として帰郷する。だが、妻は他の男とできてしまい、息子もすっかりその男になついている。拷問という行為を愛することで拷問生活に耐えてきたレーンだったが、もはや故郷に自分の居場所はなかった。生温い生活は、拷問以上の拷問だった。ある日、レーンが受け取った義援金を狙うギャング団によって、妻と息子が惨殺されてしまう。レーンの生き場所がようやく見つかった。レーンは軍隊時代の部下・ジョニー伍長(トミー・リー・ジョーンズ)を従え、ギャング団の根城となっている娼館へと殴り込む―。『ローリング・サンダー』もまた『ザ・ヤクザ』の変奏曲である。健さんが指を詰める代わりに、『ローリング・サンダー』のレーン少佐は片腕を失う。ポール・シュレイダー作品の主人公たちは時代の変化に適応することを良しとせず、死地を求めることで輝きを放つ。ポール・シュレイダーはこの主題をさらに突き詰め、三島由紀夫の生涯をドラマ化した日本未公開映画『ミシマ:ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ』(85)を監督作として作り上げる。独自の美学を放つポール・シュレイダー作品の発火点となったのが、健さん主演作『ザ・ヤクザ』だった。
任侠映画の集大成だった『ザ・ヤクザ』が国内でコケたことは、健さんにとってショックだったに違いない。文太さんとの共演作『神戸国際ギャング団』(75)、オールスター出演作『新幹線大爆破』(75)を最後に専属契約を結んでいた東映を離れ、大映で『君よ憤怒の河を渉れ』(76)、東宝で『八甲田山』(77)、松竹で『幸福の黄色いハンカチ』(77)、角川映画『野性の証明』(78)と日本映画史に残る名作・話題作に続けて主演することになる。日本と米国の異なる価値観がぶつかり合った『ザ・ヤクザ』は、ハリウッドにとっても邦画界にとっても分岐点となる作品だったことが分かる。
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