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深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】vol.303

高倉健主演のワーナー作品『ザ・ヤクザ』がDVD化 健さんがハリウッド映画に与えた影響とは……?

theyakuzamovie01.jpgロバート・ミッチャムと高倉健が共演した『ザ・ヤクザ』。本作がなければ、『ブラック・レイン』(89)も『キル・ビル』(03)も存在しなかったかもしれない。

 昭和は遠くになりにけり。日本映画界を代表するスター俳優・高倉健さんが11月10日に、菅原文太さんが11月28日に相次いで亡くなり、そんな言葉を思い浮かべた人も少なくなかっただろう。年末最後ということで12月23日にDVDが再リリースされた高倉健さん主演のハリウッド映画『ザ・ヤクザ』(74)を振り返りたい。ワーナー映画である『ザ・ヤクザ』は、『タクシードライバー』(76)の脚本家として著名なポール・シュレイダーのデビュー作だ。兄レナード・シュレイダーは文太さんが出演した『太陽を盗んだ男』(79)の脚本を手掛けている。兄弟そろって大の日本文化びいきであり、カルト映画を語る際に欠かせない存在である。

 『ザ・ヤクザ』は同志社大学と京都大学で5年間にわたって英文学の講師を務めたレナード・シュレイダーが原案を考え、兄レナードと同様に日本の任侠映画をこよなく愛する、当時は映画評論家だったポール・シュレイダーが脚本を執筆した。「やくざは八九三の数字に由来する。足して20。賭博では負けの数だ」というテロップが流れるオープニングから、シュレイダー兄弟の任侠ものへの偏愛ぶりが溢れ出ている。ほぼ日本で撮影が行なわれ、健さん主演の大ヒット作『昭和残侠伝』(65)の東映プロデューサー・俊藤浩滋が製作総指揮を執った。俊藤プロデューサーの自伝によると、シドニー・ポラック監督と共同脚本としてロバート・タウンが参加したことでメロドラマ要素が強くなったそうだ。

 元探偵のハリー(ロバート・ミッチャム)は、太平洋戦争終結後の東京に進駐軍として滞在していた頃の記憶が忘れられずにいた。美しい日本女性・英子(岸恵子)と一緒に暮らした日々は、米国に戻ってひとり身の生活を送っているハリーにとって唯一の心温まる思い出だった。そんな折り、米軍時代の戦友であるターナー(ブライアン・キース)から助けを求められる。海運商であるターナーは日本のヤクザ組織・東野組と銃の密輸取引を進めていたが、期日までに銃を納品できず、ターナーの娘が人質として拉致監禁されてしまった。「娘を助け出してほしい」と旧友に頼まれ、ハリーは20年ぶりに日本に向かう。ハリーは英子のもとを訪ね、英子の兄・田中健(高倉健)の居場所を聞き出す。健は大物ヤクザで、健の助けを借りることで、ターナーの娘を救出しようとハリーは考えていた。太平洋戦争で米軍相手に戦った健は米国人を憎んでいたが、終戦後の混乱期に英子がハリーの世話になったことに義理も感じていた。かくしてハリーと健は、東野組を敵に回して人質奪回に赴く―。

 70年代前半、ブルース・リー主演のアクション映画が爆発的にヒットし、米国ではブルース・リーに続く新しいアクションスターが求められていた。そこで白羽の矢が立てられたのが、日本のヤクザスター・健さんだった。物語の後半、健さんがロバート・ミッチャムを伴って東野組に殴り込みを掛けるシーンは、「昭和残侠伝」シリーズの花田秀次郎(高倉健)と風間重吉(池部良)が死地に赴くクライマックスシーンの再現だ。日本刀を手にした健さんは東野組のヤクザたちを次々と血祭りにする。健さんの背中では不動明王の刺青が生き血を吸って、妖しく輝く。健さんの独壇場である。もはや、バイオレンスシーンというよりも、死を覚悟した男が放つ官能美の世界である。銃を手にしたロバート・ミッチャムは、ただただ健さんの後ろ姿に見蕩れるしかない。

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