“伝説の俳優”松田優作の魂を受け継ぐ『百円の恋』デブニートが放つ、下流人生から起死回生の一撃!
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テアトル新宿での一般公開を待つ武監督に製作内情を聞いた。『MASK DE 41』(01)や『童貞放浪記』(09)などの脚本を手掛けた足立紳と『ボーイ・ミーツ・プサン』(07)で長編デビューした武監督が脚本づくりに取り組み始めたのは2010年ごろ。「映画の仕事で20年間食べてきたが、仕事がないヤバい状況になった。映画会社が次々と潰れ、見ている景色が違ってきた」と武監督は当時を振り返る。2人とも40歳を過ぎ、思うような映画づくりができず行き詰まっていた。それならば自分たちが観たい映画をつくろうと、2人でプロットを練り始める。いくつかのプロットはできたものの、2011年に大震災が起き、映画づくりはますます厳しくなった。「もう、本当に自分が書きたいと思うものを書きなよ」という武監督の言葉に押されて、足立紳が2週間後に書き上げたシナリオが『百円の恋』だった。
武監督「シナリオライターが本気で書いた脚本はすごいと、手渡された脚本を読み終えて実感しました。でも、そこから2年近くは地獄でしたね。いい脚本があるのに、映画の企画がまるで進まなかった。僕が『モンゴル野球青春記』(13)のロケハンでモンゴルに行っている間に、足立くんは松田優作賞に応募したんです。彼にとっては最後の賭けだったと思います。プロの歌手が『のど自慢』にエントリーするようなもの。もし、これで落ちたら、プロの脚本家としては終わりなわけです。偽名で応募すれば、と助言する人もいたようですが、彼は本名で勝負したんです」
脚本家の丸山昇一、セントラル・アーツの黒澤満プロデューサー、松田優作の妻・松田美由紀という脚本の目利きのできる松田優作ゆかりの審査員たちによって、応募数151通の中から「第一回松田優作賞」に選ばれたのが2012年11月。そして2014年2月、700名を越えるオーディション希望者からヒロイン・一子役に選ばれたのが安藤サクラだった。もともと中学時代にボクシングを習っていた安藤サクラだが、撮影前の3カ月間は高田馬場のボクシングジムに通い、トレーニングを重ねた。武監督の要求は「プロテスト合格レベルに見えること」。当初の脚本では30歳過ぎた女性がボクシングを始めるという緩いレベルを想定していたが、安藤サクラの身体能力が高いため、ハードルを高くした。集中トレーニングの甲斐があって、ジムの会長から「プロテストを受ければ」と勧められるほどに達した。だが、女優・安藤サクラの真髄は、ただ単にハードなトレーニングを乗り切っただけではない。2014年7月、限られた撮影期間の中、安藤サクラはわずか10日間でお腹をたるませたニート女からプロボクサー然としたシェイプアップされたボディへと自分の肉体を表現してみせた。人間の体は自分の意志次第でここまで変わるのかという驚きがある。『レイジング・ブル』(80)で名優ロバート・デニーロが見せたデニーロアプローチならぬ、サクラアプローチである。撮影期間の短かさを考えると、安藤サクラの凄みがより際立つ。
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