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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > Eテレ障害者ドラマが描くもの
テレビウォッチャー・てれびのスキマの「テレビ裏ガイド」第78回

健常者お断り――Eテレ障害者ドラマ『悪夢』が描く、“普通”の生活

「健常者の定義って、心身に障害のない健康な人。そんな人、世の中にいるかしら?」

 両足義足のアーティスト・片山真理が演じるバーの女主人・紗江はそう言って、真に問いかける。

「自分を隠して楽しい?」

 そして、「このほうが楽なの」と義足を外し、真に「抱いて」と迫る。戸惑いながらも抱きかかえた真に、紗江は言うのだ。

「ね? 人間でしょ。私たち、普通の人間なのよ」

 物語は、盲目の謎の男(桂福点)から真が奇妙な果実を譲り受けたことから大きく動いていく。その果実を食べると障害がなくなるのだという。ただし、同時にこれまでの記憶もなくなってしまう。真はその究極の選択に思い悩み、バーにいる障害者たちに「あなたなら食べますか?」と相談していくのだ(このシーンだけ、ドキュメント形式に変わる)。

「今すぐ食べたい。やりたいことたくさんやりたい。新しい記憶を作っていけばいい」「障害のない世界を体験したい」という人から、「障害に慣れているので食べない」「自分の人生を否定するようなことをしたくない」という人まで、答えはさまざま。

 これまで障害者を扱ったドラマのほとんどは、「障害者も頑張っている」と世間を啓蒙するような、いわば「健常者のため」のドラマだった。だが、このドラマは、障害者自身が障害者のありふれた日常と苦悩を描いている。障害者による、障害者の、障害者のためのドラマだ。けれど、「今の自分を受け入れて生きる」か「今の自分を変えて違う自分になる」といった根源的な悩みは、健常者も障害者も変わらないだろう。誰しもが何らかの“障害”を抱えている。別に、どちらかの選択が「正解」なわけではない。本来「普通」とは大多数の人たちの共通した考えや状態を、それが正解だ、常識だと強制する圧力ではない。さまざまな障害があるように、人それぞれさまざまな答えや生き方がある。それこそが「普通」の状態だ。

 『悪夢』で描かれているように、いろいろな人が、普通に生きているのだ。
(文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>)

「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

最終更新:2019/11/29 17:54
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