祝15周年! バッファロー吾郎が語る「大喜利暗黒期と、ダイナマイト関西の“引き寄せ力”」
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「大喜利」がここまで世に認知された原動力として、ダイナマイト関西が果たした役割は計り知れない。1999年、大喜利ブーム黎明期にバッファロー吾郎が企画した小さな大会は、今では他事務所他ジャンルを巻き込み、芸人なら誰もが憧れる巨大イベントへと成長した。プロデューサーとして、出場者として、バッファロー吾郎の2人はこの15年に何を見て、何を感じてきたのか――。
――ダイナマイト関西、ついに15年目に突入ですね。
バッファロー吾郎・A(以下、A) 正直、ここまで続くとは思っていなかったので「もう15年なんや」という感じですね。ダイナマイト関西によっていろいろな出会いがあって、その人たちにいろいろな話を聞けて、それがすごく大きいと思う。芸人のみならず、漫画家さん、プロレスラー、格闘家……この企画に携わっていただいた人たちに、育ててもらったんやなと思っています。
――15年で、企画自体がどんどん大きくなっていったと。
A 芸人の世界ではこうかもしれないけど、格闘技の興行ではこうですよとか、漫画家の世界ではこうですとか、面白い話をたくさん聞いて、使えるものは全部使っていきました。シフトチェンジっていうんでしょうか。細かくバージョンアップされています。
――発足当初、大喜利に対する観客の反応はいかがでしたか?
バッファロー吾郎・竹若(以下、竹若) そうですね。僕らはダウンタウンさんの大喜利がすごく好きでよく見ていて、「僕らも、ああいう答えを出したいな」っていつも思っていたんですね。でも、実際に舞台で大喜利のコーナーをやると、全然反応がないんですよ。大喜利好きなメンバーが出す答えが、特にウケない(笑)。一方で、全然そんなこと気にしない、内輪向けの答えを出すほうがドカンとウケたりする。ええ? こっちのほうが全然いい答え出してんのに……っていう、やりきれない思いはずっとありました。そうやってモヤモヤした思いを持っているメンバーを見た館長(A)が、よりストイックな大喜利イベントをせえへんかというのをポンッと提示してくれたんですよ。その趣旨に賛同する人がどんどん集まって、イベントも肉付けされていった感じですね。でもそれくらい、大喜利に対する世間の反応は、ひどいものがありましたよ。
「出したい答え」「言いたい答え」を出したかっただけなんです
――先ほど「シフトチェンジ」という言葉が出ましたが、逆にこれだけは変えないでいこうと思ったところはどんな部分でしょうか?
竹若 「出したい答え」「言いたい答え」を出すというところですね。それまでは反応をうかがうために、よりマイルドというか、お客さんに歩み寄って歩み寄っての答えを出して、なんとかその場をつなぐということもあったりしたんですよ。ここではそういうことは抜きにして、本当に自分が面白いと思った答えを出す。それが一つの大きな目標でもありました。それをお客様に伝えるためには、大会としてどういう演出をしたらいいのか。それが常に課題で、いつもみんなで話し合っていたことです。
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