平常時とは、まるで異なる倫理観と時間の流れ──ブラピ主演映画『フューリー』の硬質なる魅力
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時間とはとても感覚的なものであり、一定の速度で流れることがない。楽しい時間ほどあっという間に過ぎ去り、辛い時間ほど足元にまとわりつくようにゆっくりゆっくりと流れていく。第二次世界大戦末期、連合軍側の戦車部隊の兵士たちを主人公にした『フューリー』の場合は、鉛のようにずしりと重く冷ややかな時間がすべてを押し潰すかのように流れていく。たった1日の間に、少年のようにあどけなかった新兵が熟練兵へと変貌していく姿が克明に描かれる。まばたきすることすら憚れる、濃厚さを極めた2時間15分が観る者の脳裏に刻み込まれる。
『フューリー』の時代設定は1945年4月。米軍の激しい空爆を受けて日本の焦土化が進んでいた頃、ヨーロッパ戦線も最終局面を迎えていた。米軍を中心にした連合軍はすでにバルジの戦いでドイツの主力部隊を撃破し、連合国側の勝利は揺るぎないものになっていた。終戦まであとわずか。今さら命を落とせば、犬死に等しい。だが、窮地に追い込まれたドイツ軍は必死に抵抗してくる。そんな予断ならない状況の中、米陸軍の第2機甲師団にひとりの若者が配属された。18歳の新兵ノーマン(ローガン・ラーマン)は、ドン・コリア軍曹(ブラッド・ピット)が車長を務めるM4中戦車シャーマンの補充兵として迎え入れられる。“フューリー(激しい怒り)”と名付けられたその戦車のハッチをくぐったノーマンがまずやるべきことは、亡くなった前副操縦士の肉片が飛び散ったシートをぬぐいさることだった。
フューリー号に搭乗する4人の部下を束ねるドン軍曹にとって最速最大の任務は、新兵ノーマンを1分でも1秒でも早く一人前の兵士に仕立て上げること。早く一人前になってもらわないと、ノーマン自身の命はおろか、チーム全員が道連れになってしまう。装甲で守られた戦車とはいえ、5人が一心同体となって操縦できなければ、逃げ場のない鉄の棺桶に入っているのと同じだからだ。それまでタイプライターを打つ訓練しかしなかったノーマンは、最初の野戦でまともに機関銃を撃つことができなかった。見かねたドンは捕虜となったドイツ兵をノーマンの前に突き出し、処刑するように命じる。投降してきた丸腰の敵兵を射殺すれば、それは戦時中でも犯罪である。激しく抵抗するノーマンだったが、ドンは冷酷にノーマンに銃を握らせて引き金を引かせる。戦場で生き延びるためには、理想も正義も神の教えも棄てなくてはならない。血染めの儀式を終え、ノーマンは否応なくフューリー号の一員となる。
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