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日刊サイゾー トップ  > 原発避難自治体・双葉町のいま
『フタバから遠く離れて 第二部』公開直前インタビュー

「“金目”ですべてが解決するのか――」原発事故から3年半……原発避難自治体・双葉町を引き裂く“分断”と内部対立

IMG_futab.jpg舩橋淳監督

――撮影中、一番難しかったのはどんなところですか?

舩橋 原発避難民のみなさんとも仲良くして、「また来ないの?」という電話をもらったりする関係になっているので、撮影をすること自体は苦にはなりません。ただ難しいのは、町の内部対立をどう描くのかということ。映ったものをどのように使うかは僕の判断であり、もしかしたら、「悪者」として映ってしまう町民もいるかもしれません。ただ、映画を見た人は、本当に悪いやつは違う場所にいると感じてもらえるんじゃないかと考えています。なぜ同じ町で仲良く暮らしていた人が、互いに対立しなければならない状況になってしまったのかを感じてほしい。

――これまで、監督は3年半以上にわたる長期取材を行ってきましたが、ここまで時間をかけたからこそ見えてきたものはあるのでしょうか?

舩橋 一度足を運んだだけでは、どうしても聞けない話があります。長い時間接していると、賠償の金額、東電や政府に対する批判だけではなく、自分が本当に大切だと思っていることを話してくれるんです。心の奥に感じているものは、本当に心を許さないと吐露してもらえません。映画の中で、あるおばあさんが涙ながらに語られていましたが、「16代にわたって続いていた家が奪われた気持ち」は、時間をかけて通い、一緒にごはんを食べたり無駄話をしてきたからこそ、吐露してもらえたのではないかと思います。

――報道番組では決して聞けない話がある。

舩橋 報道は言語化できるものを追い、映画は言語化できないものを追います。例えば歴史や時間の重み、コミュニティが失われていく感触、廃校の美術室でみんなで暮らしている感覚なんかは言語化できないもの。それを、当事者に近い感覚として人生を追体験できるのがドキュメンタリー映画の深みだと思います。

 ただ、当事者の気持ちを100%理解することは本当に難しい。ある原発避難民から「全部流されて何もないということがわかるか? 墓参りに行っても何もないんだぞ」と言われ、もちろんその感覚はわかっていたつもりだったんですが、8月の広島土砂災害でうちの墓が流されてしまったんです。祖父母とのつながりが根こそぎ奪われ、何もなくなってしまった。「あ、あの人が言っていたのはこれか……」と、そのとき初めて心の底から実感することができたんです。他人事を我が事として実感するのはとても難しい。だからこそ、観客にとって自分のことのように思えるような映画を作る意味があるんだと信じています。
(取材・文=萩原雄太[かもめマシーン])

●『フタバから遠く離れて 第二部』
監督/舩橋淳 テーマ音楽/坂本龍一「for futaba」 撮影/舩橋淳、山崎裕 音楽/鈴木治行 プロデューサー/橋本佳子 配給/Playtime 宣伝/佐々木瑠都
11月15日(土)より、ポレポレ東中野ほか全国順次ロードショー
http://nuclearnation.jp/jp/part2/

最終更新:2023/01/26 19:00
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