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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > なりすましタモリの『ヨルタモリ』
テレビウォッチャー・てれびのスキマの「テレビ裏ガイド」第72回

「どうなっちゃってるのよ、今のテレビ!」『ヨルタモリ』でタモリが“なりすまし”ているもの

 『いいとも』以後、タモリの元にはいくつもの新番組の企画が持ち込まれたが、タモリはそれらに納得いかず、断り続けたなどと伝えられている。おそらく、タモリに負担が少ない、ユルい企画が多かっただろう。だが、タモリが最終的に引き受けたのが、タモリにとって最も負担が大きい、タモリの芸に依存した番組だったというのが、タモリの矜持を感じざるを得ない。

 よくタモリの本芸は、アナーキーな「密室芸」などと言われる。だが、そうではない。密室芸も、タモリの「なりすまし」芸のひとつの側面にすぎないのだ。事実、「密室芸」は周囲からのリクエストに応じて演じられてきたものだ。そうしてタモリはこれまで周囲に求められるまま、さまざまな「タモリ」像に「なりすまし」てきた。あるときは「アナーキーなカルト芸人」に、ある時は「お昼の顔」に、またある時は「趣味に生きる好々爺」に。いつだって、自分自身を自由自在に変えていくことだけはずっと変わらなかった。

 『ヨルタモリ』でも、終始何かに「なりすまし」ている。だから「タモリ」そのものは番組に出てこない。しかし、逆説的にその姿は、若きアナーキーさと力の抜けた老獪さを併せ持った「タモリ」そのものに「なりすまし」ているかのようだ。いや、そうではないのかもしれない。ずっと周囲からの要求通りに何かに「なりすまし」ていたタモリがようやく解き放たれ、ついに本当の意味で自由になって「タモリ」を表現しているのではないか。『ヨルタモリ』はタモリによる、タモリのための番組なのだ。

 番組では最後、偉人ユージニス=アフレカヌス(355-420)の名言を引用して締めくくっている。

「物を見ている自分の目を見たことがある者は誰もいない」

 全編がタモリイズムにあふれる番組である。だから言うまでもないが、そんな偉人も言葉も存在しない。デタラメの名言だ。
(文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>)

「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

最終更新:2019/11/29 17:55
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