お笑い評論家・ラリー遠田の『キングオブコント2014』評──シソンヌが魅せた“コントの最先端”
#お笑い #キングオブコント #シソンヌ
10月13日、『キングオブコント2014』の決勝戦をテレビで見た。その前日、私は『THE MANZAI 2014』の本戦サーキット(準決勝戦にあたる予選)を、ライブで観戦していた。漫才の大会とコントの大会を立て続けに見たことで、漫才とコントの違いについて思いを馳せることになった。
漫才は熱だ。先日の『THE MANZAI』予選を見てそう思った。漫才師たちがセンターマイクの前に立ち、その瞬間に注ぎ込む「熱」が、客席に伝わるかどうかという戦い。技術、センス、声の大きさ、その他さまざまな要素によって、熱が観客に伝染すると、その熱は「笑い声」となって外に発散されていく。
一方、コントはそういうものではないよなあ、と『キングオブコント』を見たときに実感した。コントの笑いは、熱による笑いではない。コントでは、大きな笑い声が聞こえなくても、観客が十分に楽しんでいる、ということがあり得る。漫才ではそれがあまりない。漫才では、笑い声の大きさがそのままウケ具合を示す。コントでは必ずしもそうとは限らない。
いわば、漫才は体感するものだが、コントは鑑賞するものだ。コントでは、ネタを作り込んだり演技を磨いたりすることで、作品としての完成度をどれだけ上げられるかが勝負になる。
優勝したシソンヌのコントは、2本とも作品としてのクオリティが図抜けていた。1本目でギャンブル中毒の中年男性を、2本目で失恋して落ち込む女性を演じた、じろうの演技力が特に素晴らしい。
2本目のコントの冒頭、長谷川忍の演じるタクシードライバーが「こんばんは」と話しかけると、じろうの演じる女性は彼の顔を見て「良さそうな人」と応じる。このせりふで大きな笑いが起こった。特におかしいところもない、こんな何気ないせりふだけで、なぜ笑いが起こったのか?
この笑いは「安堵の笑い」だ。じろうの最初の一言を聞いただけで、見る人たちは「あっ、この演技力なら安心して任せられる」という確信を抱いた。女性キャラの芝居のうまさが、多くの人の想像を超えていたのだ。何も心配せずにこのコントにはずっと浸っていていい。そういうお墨付きを与えてくれたのだ。ここでシソンヌは見る者の心をグッとつかんだ。そして、そのまま最後までずっと離さなかった。
サイゾー人気記事ランキングすべて見る
イチオシ記事