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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > ビニールハウス生まれの競泳選手
アスリート列伝 第17回

「変化よりも進化」ビニールハウスが生んだ常識外れの天才、競泳五輪メダリスト・松田丈志

51N8b+1W5wL.jpg『自分超え―弱さを強さに変える』(新潮社)

 10年前のアテネ五輪から帰った時、松田丈志は悔しさをかみしめていた。400メートル自由形で、日本人として40年ぶりの決勝進出を果たした松田には、世間から多くの注目が集まった。だが、終わってみれば、結果は8位。松田に対する視線は、いつの間にか次々と誕生する日本人メダリストへと移っていき、オリンピックが終わる頃には、誰も彼を見ていなかった。

「成田空港では、多くのカメラと大歓声に迎えられたメダリストたちが貸切バスでテレビ局に向かった後、メダルのない僕たちは自費でリムジンバスに乗りました。メダルを取らなければオリンピックに出ても意味がない。強くそう思いました」(『自分超え―弱さを強さに変える』新潮社)

 アテネ五輪後、松田はそれまでの自由形とバタフライを両立させるスタイルではなく、バタフライ1本に絞って練習を再開。力を出し切って8位に終わった自由形よりも、準決勝敗退ながらも自己ベストさえ出ていればメダル圏内だったバタフライでの金メダル奪取を目標に据えた。「変化よりも進化」当時の松田のノートには、そう書き記されていた。

 だが、松田の前に強敵が立ちはだかる。「水の怪物」の異名を持つアメリカ人選手、マイケル・フェルプスだ。アテネ五輪では男子100m・200mバタフライ、男子200m・400m個人メドレーなど合計6個の金メダルを獲得している、まさに水泳界のスーパースター。松田の4年間の猛特訓も虚しく、2008年北京五輪では、フェルプスを前に銅メダルに終わった。

 いったい、どうすればフェルプスに勝てるのだろうか?

 松田の足のサイズは28.5cm。一方、フェルプスの足は34cm。ドルフィンキックを効率よく打つには、圧倒的にフェルプスの体格が優れていた。この天性の差を埋めるために、松田はアメリカ・フロリダ大学を訪れる。スタートとターンを課題と考えた松田は、アテネ五輪金メダリスト、ライアン・ロクテの練習に参加して、その技術を盗もうとしたのだ。

 すると、そこには驚きの発見があった。

 日本の競泳界では、泳ぎのバランスが崩れるため、筋トレはタブーとされていた。しかし、松田の目の前でロクテはウェイトトレーニングを週3回こなし、バーベル上げや腹筋運動など苦しい練習を行う。スイムの練習でも、日本とは圧倒的に練習量が異なり、キックの練習だけで30分も泳ぎ続けている。フェルプスやロクテは、体格が優れているから活躍しているわけではない。誰よりも厳しい練習を積んできたから、彼らは最速で泳ぐことが可能になったのだ。松田が見た「世界」は、常識外れの場所だった。

「世界一を狙う僕たちは、誰も足を踏み入れたことのない領域に到達し、その上で勝負に勝たなければなりません」(同)

 だが、松田自身も、そのキャリアの初めから一貫して「常識外れ」だった。

 松田は、宮崎県延岡市にある「東海スイミングクラブ」という小さなプールで競技生活をスタート。そこで、生涯の恩師となる久世由美子に出会い、厳しい練習をこなしていく。メダリストとなってからも、松田は、久世と共にビニールハウスのプールを拠点とした練習を行っており、マスコミからは「ビニールハウス生まれのヒーロー」ともてはやされた。中京大学や国立スポーツ科学センターなどのプールと、延岡のビニールハウスで覆われた25mプールを拠点としながら世界一を目指す。それは前代未聞の挑戦だった。だが、決して整った設備とはいえないこの環境を、彼は「恵まれている」という。

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