トップページへ
日刊サイゾー|エンタメ・お笑い・ドラマ・社会の最新ニュース
  • facebook
  • x
  • feed
日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > 甲子園「KKコンビ」の約束
アスリート列伝 第16回

30年前の甲子園 清原・桑田“KKコンビ”の果たされなかった「約束」

51EoBHGunkL.jpg『桑田よ 清原よ 生きる勇気をありがとう』(ひらく)

 今から30年前、甲子園を熱狂の渦に巻き込んだ2人の高校生がいた。1年の頃から強豪・PL学園のレギュラーを務め、3年間で春夏合わせて5回甲子園に出場。そのうち、優勝2回、準優勝2回という類いまれな成績を収めた。いつしか、マスコミは2人を「KKコンビ」としてもてはやすようになる。桑田真澄は通算20勝、清原和博は91打数40安打という、怪物のような記録を生み出していった。

 いったい、なぜ彼らはこんな大記録を樹立できたのだろうか? PL学園の1学年上の先輩であり、チームメイトとして傍らから彼らを見ていた清水哲氏による著書『桑田よ 清原よ 生きる勇気をありがとう』(ひらく)から振り返ってみよう。

 高校入学時から180cmを超える並外れた体格を持ち、1試合に3本の本塁打を叩き出した清原と、PLのレギュラーでも捕球すらままならないカーブを投げていた桑田。彼らは1年生の甲子園からそれぞれチームの4番とエースとして活躍。この大会で優勝を飾り、全国にその名を轟かせていく。

 だが、上下関係が厳しいPL学園では、実力ではなく学年がすべてを決める。寮では上級生と下級生が同居し、後輩が洗濯、掃除、布団敷きまでさまざまな雑務をこなさなければならない。もちろん、それは全国区の知名度を誇るKKコンビとて例外ではない。だが、清水と同室になった桑田は、嫌な顔ひとつせずに、その仕事を積極的にこなしていたという。

 いったい、彼らの強さの秘密はどこにあるのだろうか? 清水は、天才たちの裏側をこのように証言する。

 まず、彼らには天から与えられた恵まれた体があった。高校生離れした清原の体格のよさは言うまでもないが、桑田は身長172cmしかなく、一度は野手転向を打診されたこともある。だが、そんな桑田の体にも、ある驚異的な才能が潜んでいた。それは、同室で暮らしていた清水だからこそ気づいた特徴だ。ある日、桑田にマッサージを施した清水は、その筋肉に触れた瞬間に驚かざるを得なかった。何人もの先輩のマッサージをした清水でも、桑田ほど柔らかい筋肉を持っている人間は見たことがない。そして、いったん力を入れると、まるで鋼のように硬く変化する。それは、アスリートとして理想的な筋肉だった。

 そんな才能に恵まれた2人だが、もちろん彼らの実力は才能だけがなせる業ではない。練習後の寮では、よく桑田がいなくなる。「あれ、桑田はどこへ行ったんや」と不思議に思っていると、1時間ほどで汗だくになった桑田が戻ってきた。本人はランニングに行っていたというが、「努力は人に見せるものではない」という美学を持つ桑田は、チームメイトにも内緒で秘密特訓をしていたのだ。また、清原も、練習終了後に無断で雨天練習場に潜り込み、打ち込みを行っていた。そのことを清水が注意すると、清原は毅然としてこう答えた。

「哲さん、練習して怒られるんやったら、僕PL辞めます。そういう理由で辞めるんなら、家の人もわかってくれると思います」

 才能にあぐらをかくことなく、誰よりも熱心に練習に打ち込んだ2人。彼らが残した甲子園準優勝2回、優勝2回という成績は、人一倍の努力がもたらした当然の結果だったのだ。

 清原と桑田は、甲子園決勝前夜、ある約束を交わしていたことを清水は覚えている。

「『ぜったい最後は内野ゴロを打たせろ』と清原が桑田に言っていたのです。そうしたら、ファーストの清原がウィニングボールを取れるという仕組みです。『そうしたら、俺がボールを持ってマウンドに行くから、二人で抱き合って……』という計画まで立てていたのです」

 残念ながら、この時の甲子園は惜しくも優勝はならず、約束が果たされることはなかった。翌年も、同じ約束が交わされていたのかは、一学年上の清水にはわからない。

12
ページ上部へ戻る

配給映画