覚悟を決めて鑑賞したい母と娘の愛──伝説の女性革命家の娘を描くドキュメンタリー『革命の子どもたち』
#映画
集団的自衛権の行使容認の閣議決定をめぐり、世間は大いに盛り上がった。311以降、反/脱原発をめぐるうねりの中で、日本でもデモが日常へとなりつつある。
こうしたうねりを、妙にオシャレな運動のオルガナイザーやら評論家や知識人のたぐいは、従来の運動とは違う「新しい運動」だと評する。いやあ、面白おかしくデモをやって世の中が変わるものなのか……。
そんな混沌の情勢の中で公開されているのが、映画『革命の子どもたち』だ。
この作品で描かれるのは、1960年代後半からの世界的な革命運動下、名を馳せた2人の女性革命家のそれぞれの娘。重信房子の娘である重信メイと、ウルリケ・マインホフの娘であるベティーナ・ロールを通して、革命運動の軌跡が語られていく。つまり、これまでさまざまな形で語られてきた日本赤軍とドイツ赤軍を、新たな視点で描くドキュメンタリーなのである。
果たして、この作品を「面白いか?」と問われれば、「覚悟して見るべき」と答えるのが正しいだろう。なぜなら、2人の娘をはじめとする取材対象者の語りや、当時の時代を切り取った貴重なアーカイブ映像、そして当事者ならではの証言が妙に中和されているからである。それでいて、ラストで流れるのは若松孝二監督の映画『天使の恍惚』でも知られる「夜明けウミツバメ飛び啼く」。この手の作品のために劇場に足を運ぶ人ならば必ず鑑賞しているであろう『赤軍‐PFLP 世界戦争宣言』(71)、『バーダー・マインホフ 理想の果てに』(08)あたりの熱さを期待して鑑賞すると、椅子から転げ落ちること請け合いである。
けれども、やっぱり、この作品は見るべき価値がある。
その理由は、被写体を描く視点の違いである。この作品の監督であるシェーン・オサリバンは、ロンドンを拠点に活動するアイルランド人である。当然のことであるが、日本赤軍を語る時に、日本人は日本人の視点でしか語ることができない。従来の日本赤軍を扱った作品は、あくまで日本人の歴史観に依拠するものであり、同世代あるいは後の世代が一種の憧れとともに語るようなものだったと思う。ところが、この作品は、まったく違う文化圏の監督によって、“革命家の娘”という今までにない視点が用いられているのだ。
そして、娘たちから見た伝説の革命家とは、やはり英雄的な存在ではなく、母親であることを作品は描写していく。それを描くためには、ある種の傍観者的な視点でなければ、あまりにも熱量が高すぎてしまう。作品の独特のテイストには、そうした監督の意図も含まれていたのではないかと思う。
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