やくざ、裕次郎、安倍晋太郎、そして池田大作……なべおさみの昭和“裏”交遊録
#本
芸能界の舞台裏を見続けてきたなべだが、日本テレビ『シャボン玉ホリデー』などの番組で役者として成功を収めた後も、相変わらずやくざとの交流を続けていた。なべに言わせれば、役者もやくざも元をたどれば被差別階級のアウトロー。美空ひばりの例を出すまでもなく、当時、芸能界と暴力団は蜜月の関係を結んでいたのだ。
「敷かれたレールの上しか走らない電車みたいな芸能人ではなく、己で道を切り開いていく芸能人ならば、多かれ少なかれ、裏社会の人間との交際はあったはずです」
だが、なべは「黒い交際」に対して、きちんと一線を引いていた。
「私は『相手にモノを頼まない』と決めていました。例えば何かを失敗し、相手に脅かされてしまったとしたら、やくざに助けてくれと頼むのは絶対にしてはなりません」
そんな節度ある態度によって、なべはやくざのみならず、政界との太いパイプ作りにも成功した。安倍晋三首相の父であり、「政界のプリンス」と呼ばれた故・安倍晋太郎とも昵懇となり、「親分」と慕うこととなる。自民党候補として出馬を要請されたものの、「先生を日本の宰相にしたいと願って、私は応援に身を捧げる覚悟で生きているんです」と、それを拒否し、その信頼をますます強固なものにする。ちなみに、なべの代わりに出馬することとなったのが、この席に同席していた女優の扇千景。もしかしたら、大臣・なべおさみが誕生していたかもしれない……。
そして、芸能界で裏に表に活躍したように、なべは政界でも裏側の活躍をしていく。
金丸信から、直々に「北海道に入ってくれ」という依頼を受けて、北海道5区から立候補していた鈴木宗男の選挙協力に奔走。広大な北海道で、農家を一軒一軒回り、土下座をしながら選挙を戦った。しかし、選挙戦も中盤に入ると、当選のためにはあと6,000票足りないことが判明。窮地に陥ったなべは、自身の後援会長のコネクションを利用して、ある人物に相談を持ちかけた。
なべの計画はこうだ。ある「先生」から米3俵とミカン30箱を差し入れてもらい、それを有権者に配布する。そうすれば、かの人物から鈴木宗男が「お墨付き」を得ていると暗にアピールすることができ、6000票などあっという間。後援会長は、すぐさま「先生」に電話をかけると、その了承を取り付けた。
この電話の相手となった「先生」なる人物は、創価学会の池田大作氏。こうして、池田氏の支持を取り付けたなべは、創価学会票を取り込むことに成功し、見事鈴木宗男を当選させたのだ。
裏に表に奔走したなべの半生を振り返ると、世間を騒がせた「明治大学替え玉受験」など、微々たる事件のように思えてくる。昭和という時代は、ここまでおおらかでエネルギーに満ちあふれていたのだった。
(文=萩原雄太[かもめマシーン])
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