『報ステ』古舘伊知郎が10年ぶりのインタビューで明かした、キャスターとしての“限界”
#出版 #元木昌彦 #週刊誌スクープ大賞
『報道ステーション』をやる前から久米宏のことは意識していたそうだから、久米に挨拶に行ったことがあるという。
「そのときに久米さんの楽屋にあいさつに行ったら、そんなに親しいわけじゃないんですけど、『いや、古館君。毎日毎日、月~金の報道番組をやるっていうのは、もう強烈なサバイバルなんだよ』って言ったの。僕はピンときてないんです、自分はやったことないから。やるつもりもなかったし、そのとき。だけど、ものすごい印象に残ってるんですよ」
サバイバルとはどういう意味なのだろうか。久米も自民党から目の敵にされ、隙あらば引きずり下ろしてやろうという内外に敵がいたことを指しているのか。
「『報道ステーション』をやってて、自分の感ずるところ、思うところをなかなか言えない。表の報道をしてて、裏の背景をあんまり言えない。これはさっきからずっと嘆いてますけど事実です。だけど逆から見ると、言えないのは僕に勇気がないからなんですよ。番組が今日で終わっちゃうとか、これを言ったらおしまいだなとか思ってるだけで。基本的にホントのことを言うと、世の中、糾弾されるじゃないですか」
糾弾されても言ってくれよと思うのは、テレビを見ている人間の勝手な思い込みなのだろう。
「自分はもうこれだけやらせてもらっているから、べつに明日降ろされても幸せなしゃべり手人生だったと思えますからね。世の中ってうそ八百で成り立ってるし、ホントのところは新聞も雑誌もテレビも伝えないし、たまに言外に漂わせたり、におわせたり、スクープで追及したりってことはあっても、ほとんどがお約束で成り立ってるわけですね。プロレスですよ、世の中。完全にプロレスです」
芸能人や小粒な政治家のスキャンダルはときどき週刊誌をにぎわすが、大物権力者の致命的なスキャンダルはこのところ出てこない。
今こそ「安倍晋三研究」が必要だと思うのだが、核心に迫ったレポートやノンフィクションは残念ながら出ていない。
テレビの限界を知っているから、そこを壊すことなくちょこっと権力批判を織り込む古館の“頑張り”が目立つのだろうが、隔靴掻痒の感は否めない。
「でも、無理して10年やってきましたから、もうちょっと頑張りたいんですよね(笑)」
古館が「これでテレビとおさらば」と決意する日は、いつかは来る。そのときは思う存分、胸の内をぶちまけ、テレビ批判をしてもらいたいものである。
(文=元木昌彦)
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