「思いっきりアカンのか、ハネるか」コント界のアストロ球団・天竺鼠がライブで放つ魔球
#お笑い #インタビュー
――芸人を目指したきっかけは?
瀬下 もともとお笑いは好きでした。だけど芸人なんて頭にもなくて、僕は大阪に出て就職しました。でも、お笑い芸人を目指している川原を見ていたら、僕もめっちゃやりたくなって。
川原 僕はベタに高校の学祭ですかね。僕、野球部だったんですけど、先輩らがコントをやるって言ってて「川原、この台本見てくれ」って頼まれたんです。で、それが全然面白くなくて、全部変えた。全部変えたら、先輩たちが「え……分からん」ってなって、「じゃあ、お前出てくれ」ということに。
――ちなみに、それはどういうネタだったんですか?
川原 なんだったかな……みんながラッツ&スターみたいに顔真っ黒に塗って出てるのに僕だけ塗ってなくて、だけど誰もそれを触れない、とか。
――(笑)。反応はいかがでした?
川原 それが結構良かったんです。それから野球部の打ち上げのときは、「監督の話」「来賓の挨拶」と並んで「川原の漫談」を入れられるようになりました。だから、なんか前のめりで「僕にやらせてくれ」というよりは、そういう環境が増えていったという感じです。
――お姉ちゃんが勝手にジャニーズ事務所に書類を送った的な。
川原 そうですね。
瀬下 フフフ(笑)。
川原 本当は、教室の隅っこでずっとニヤニヤしてるだけでよかったんです。みんなが悪ふざけしているのを見て、「今お前が出ろ」とか「お前は一言多かったぞ」みたいなことを思いながらニヤニヤしてたんですよ。それだけでよかったんですけど、今はそこに自分も入ったような状況ですね。
――プレイングマネージャーですね。
川原 そう。だから、たぶんコントが多いんだと思います。もっとしゃべって笑かす感じだったら漫才をやっていたんでしょうけど、そうじゃなくて、「今こういうヤツが出てきたらオモロいのにな」みたいなのを脳みそで勝手に遊んでいて、それをいま、実際コントとしてやっているので。
――瀬下さんはその川原さんの世界の住人として、突然ポンと置かれるわけですね。
瀬下 僕は誰よりも一般人としてそこにいるので、そのおかしな世界とお客さんとの橋渡しができればいいと思ってます。
――お客さんの反応は、東京と大阪では違いますか?
川原 まぁ単独に関しては、大阪のお客さんのほうが免疫がありますからね。
――免疫ですか?
川原 僕の中ではお客さんに「一体これはなんの時間だったんだろう」「何を見せられたんだろう」って首をひねりながら帰ってもらうというのが、一番のコンセプトなんです。でも、単独を何度かやっていくうちにだんだんお客さんが慣れてきて、どんだけ間を使っても変なことしても「なんの時間だろ」とは思わなくなってきてる。その分、東京はまだ単独をやっている数が少ないので、驚きも新鮮ですね。大阪のお客さんは、結構待ってくれてしまう。
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