「完全にやりにいった」TBS『水曜日のダウンタウン』の悪意と愛
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おぎやはぎ矢作は、共演していた勝俣州和本人を前に勝俣を絶賛する。誰とでも絡め、トークの引き出しも数多い、と。そして、スタッフのやってほしいことを全部やってくれる“企画成立屋”なのだと持ち上げる。そんな矢作が唱えた「説」が、「勝俣州和 ファン0人」説だ。知名度やスタッフからの信頼は抜群だが、勝俣個人の「ファン」は「人っ子一人いない」のだと。本人を前に、悪意たっぷりに主張したのだ。さらに番組は、その悪意に乗っかり「というわけで、そんな人いるわけがないと思いますが、万が一いらっしゃれば」と、ホームページで勝俣ファンを募集するのだった。
『水曜日のダウンタウン』は「完全にやりにいって」いる。確信犯的に過剰な悪意を思いっきり振りかざしている。よく「お笑い」には、対象個人への「愛」が不可欠だといわれる。果たしてそうだろうか? 「芸能界一肌がキレイなのは綾瀬はるか」説という一般的にも興味を惹きそうな説から、「理科室の人体模型ただのインテリア」説という、うっかり社会の闇に切り込んでしまった「説」、「鎖鎌 最弱」説というマニアックすぎるものまで検証される「説」は多種多様で統一感がない。
だが、これらに一つ共通点があるとすれば、それは「説」を唱える人が、真剣にその現象を「面白い」と思っているということだ。番組は、その「面白い」を丁寧に形に変えていく。この番組が対象に向けるのは「悪意」だ。けれど、「面白い」ことに対する愛情は深い。勝俣本人に対してではなく、「勝俣のファンがいない」という現象自体を愛し、それを最大限面白く表現しようとする努力を惜しまない。いわば対象ではなく、現象にこそ愛情を注いでいるのだ。結果として、その対象も輝きを放つ。
『水曜日のダウンタウン』は「藤井Pとダウンタウンが組むと『悪意』が倍増され、『面白い』に変換される」説を実証し続けている。
(文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>)
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