フェイクドキュメンタリーの金字塔が初DVD化! 一線を越えた“映画愛”の結末『ありふれた事件』
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恐ろしく悪知恵が働き、残忍な手口で殺人及び死体遺棄を繰り返すベンだが、普段は陽気で、自作の詩を朗読するなど独自の美学の持ち主でもある。そんなベンとレミーたち撮影クルーが懇意になっていくきっかけは“お金”の問題だ。レミーたちはいつも金欠で、フィルムを買うのも苦労している。見かねたベンは「フィルム代は気にするな。俺が出す」と気前よく申し出る。もちろん、そのお金は罪なき犠牲者たちから頂戴したもの。ある晩、ベンが強盗に押し入った家から、両親の惨殺現場を目撃した少年が逃げ出した。ベンは「早く捕まえろ」と叫ぶ。カメラの前に戻ってきたレミーの腕の中には、逃げ出した少年がいた。今や撮影クルーは取材者ではなく、ベンの凶悪犯罪を手助けする共犯者だった。ドキュメンタリータッチで描かれた『ありふれた事件』は、本作を観ている自分もその現場に居合わせたような後ろめたい気分にさせしてしまう。
映画の撮影現場にはコンプライアンスは存在しない。監督とスタッフとキャストとの信頼関係があるかないかだけだ。『ありふれた事件』の撮影クルーは「まだ誰も観たことのない面白い映像を撮る」ことのみに体を張り、そして被写体であるベンは彼らに自分のすべてをさらけ出すことで応えようとする。殺人鬼ベンとすっかり昵懇の仲になった撮影クルーとの関係性を象徴するシュールなギャグシーンがある。ベンがアジトにしている廃墟で、ベンと敵対する殺し屋と遭遇し、壮絶な銃撃戦となる。流れ弾に当たった録音技師は絶命。ベンは辛うじて殺し屋を返り討ちにするが、その殺し屋の後ろにはテレビ局の撮影クルーが気まずそうに立ちすくんでいた。テレビ局の撮影クルーも、殺し屋を主人公にしたスクープドキュメントを狙っていたのだ。レミーたちが旧式のフィルム用機材なのに対し、テレビ局のクルーは最新のビデオ機材である。ベンに命じられるまでもなく、レミーは商売仇であるテレビ局の撮影クルーを射殺してしまう。取材者と被写体という関係性の境界線はもはや存在しなかった。
「この映画が完成すれば、映画の歴史が変わる」という『ありふれた事件』の撮影クルーたちの尋常ならざる想いは、現実のものとなった。これぞ、フェイク(噓)から生まれたリアル(真実)。『ありふれた事件』は各国の映画祭で賞讃され、世界中の映画マニアたちにその熱気は伝播していった。『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(99)やその亜流である『パラノーマル・アクティビティ』(07)といった大ヒット作も、『ありふれた事件』が存在しなければ、生まれなかっただろう。怪獣パニック映画『クローバーフィールド/HAKAISHA』(08)も、青春サイキックドラマ『クロニクル』(12)も、ジョージ・A・ロメロ監督の復活作『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』(07)もなかったかもしれない。フェイクドキュメンタリーと呼ばれるこれらの作品は、低予算で済むというメリットだけでなく、手持ちカメラによる臨場感たっぷりな主観映像が魅力だ。映画を撮っている側と観客との敷居が非常に低く、観客に「どこまでがフィクションで、どこまでがリアルなのか」と現実と虚構のボーダーラインをさまよわせる面白さが妙味となっている。
日本で『ありふれた事件』に衝撃を受けたのが、『あんにょん由美香』(09)や『フラッシュバックメモリーズ3D』(12)など型破りなドキュメンタリー映画を次々と発表している松江哲明監督。16歳のときに『ありふれた事件』を劇場で観て、「これなら自分にも映画が撮れる」という想いに駆られたと話す。また、『ありふれた事件』の世界に笑いの要素を加え、独自の作風に進化させているのが白石晃士監督だ。低予算を逆手にした撮影スタイルに触発され、『オカルト』(09)や『超・悪人』(11)などの爆笑フェイクドキュメンタリーを放っている。5月3日(土)より劇場公開される『戦慄怪奇ファイル コワすぎ! 史上最恐の劇場版』も現実と虚構の境界線上に現われた空中楼閣を探検するような面白さに溢れている。予算の代わりに映画的アイデアとありったけの情熱を注ぐことで成立するのが、フェイクドキュメンタリーだと言えるかもしれない。
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