戦争中のベトナムで撮影した幻の作品が初公開!『ナンバーテン・ブルース/さらばサイゴン』
#映画 #パンドラ映画館
数カ月後には陥落することになるサイゴンの街は、ざらついた空気の中に日常生活を営む市民の活気が複雑に混じり合う。杉本の潜伏先は戦火から逃れた人たちが暮らす難民部落だ。ベトナム戦争で最大の激戦となったテト攻勢によっておびただしい銃痕が壁に残るフエの王宮では、クライマックスとなる銃撃戦が撮影された。戦争中のベトナムでしか撮り得なかった殺伐としたシーンの数々に思わず目を見張る。しかし、なぜ戦争中のベトナムで映画を撮影したのか? どうして危険を冒してまで4カ月もベトナムに長期滞在したのか? 長田紀生監督はこう答える。
長田「危険だからやめようという発想はまるでなかった。当時の映画屋は危険だから逆にやってみようという気持ちのほうが強かった(笑)。もともとは注文仕事でした。『ベトナムでアクションものを作るから脚本を書いてくれ』と。そこで僕は『脚本を書くから、監督もやらせてほしい』と頼んだんです。当時は米国では黒人暴動が起き、フランスでは若者たちがカルチェラタンを占拠し、日本でも頻繁に学生デモが続いていた。沖縄の米軍基地からは爆撃機が毎日のようにベトナムに向かって飛んでいた。いわば、ベトナム戦争の空気が世界中を覆っていたんです。ならば、渦中のベトナムに行って映画を撮ってみようじゃないかと。そうしてサイゴンに着いて、真っ先に感じたことは懐かしさでした。僕は昭和17年生まれ。日本中に焼け野原が広がり、あちこちに闇市が立っていたことが幼い頃の記憶に残っています。戦争が始まってすでに10年以上経っていたベトナムの風景も、かつての日本にすごく似ていたんです。カメラの望遠レンズを火器と間違えられて威嚇射撃されたり、死体を見たことも二度三度あります。フエでは宿泊していたホテルが翌日ロケット砲で爆破され、懇意にしていた支配人や従業員たちが亡くなったことを新聞で知りました。そんな状況での撮影でしたが、人間とは何事にも慣れるもので、3カ月も過ごしているとそれが日常になっていくんです。逆に日本に帰ってきてしばらくは、緊張感のない生活に違和感を感じていた。僕の中でのリアリティーは経済成長で浮かれている日本よりも戦争中のベトナムにずっとあったんです」
ラストシーン、杉本たちはベトナムから脱出するべく、海辺に停泊していた密航船に乗り込もうとする。このシーンの撮影は北ベトナムから解放戦線が目前に迫っていたことから、それまで献身的に働いていたベトナム人スタッフは撮影に参加することを拒否。日本人スタッフのみで撮影せざるを得なかった。このラストシーンがなければ、映画として完成しないからだ。凄まじい緊張感の中で、一発撮りでラストシーンの撮影が決行された。その数時間後、同じ海に停泊していた本物の密航船が政府軍によって撃沈されている。まさに命を賭けた撮影だった。それなのにお蔵入りすることを余儀なくされた心情とは、どれほどのものだっただろうか。
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