「想像力」こそ視聴者の最大の武器! タモリイズムあふれる『烈車戦隊トッキュウジャー』
#テレビ #テレビ裏ガイド #てれびのスキマ
「届けにきたぞ、棺桶を、お前の入る棺桶を。お代はいらない、ただその代わり、お前の命をいただこう♪」
と、棺桶を引きずりながら歌うシャドー怪人「チェーンシャドー」は完全にホラー映画の域にあるような怖さだし、幹部のひとりであるシュバルツ将軍はどこまでもダンディでカッコいい。中でも魅力的なのは、そのシュバルツを一途に敬愛するグリッタ嬢だ。ずんぐりした巨体と醜い顔つきだが、その健気な性格と振る舞いはチャーミングそのもの。そのキュートさは、今からトッキュウジャーに攻撃されて傷つく姿を想像して憂鬱になってしまうほどだ。
常に前向きなイマジネーションを駆使するライトを中心に、『トッキュウジャー』はとても明るく楽しい戦隊モノだ。しかし、どこか物悲しさが漂っている。それは、「死」のにおいにほかならない。トッキュウジャーの5人はもともと、幼なじみらしい。「らしい」というのは、5人には断片的な記憶しかないからだ。
「あなたたちは死んでるも同然」
と、車掌の右腕・チケットが口を滑らせている。
その言葉を元に、自分たちの記憶がなく「死んだも同然」なのは、シャドーラインに乗っ取られた町の住民ではないかと推測するトッキュウジャーたち。その推論に対して、車掌とチケットは同時に答えるのだった。
「当たりです!」
「ハズレです!」
賛成の反対。答えは藪の中。けれど、これでいいのだ。
ライトは「覚えていない町を探して後戻りしたくない」と言う。
「トッキュウジャーやって、前に進んで、進んで、進んだらその先に俺たちの町がある気がしてる」
これこそまさに、過去に執着しないタモリイズムだ。
もちろん『トッキュウジャー』=タモリイズムなんて、最初から最後までこじつけだ。けれど、それこそが「イマジネーーーション!」ではないか。想像力のある者にしか「レインボーライン」は見えない。それと同じだ。作品をモチーフにして、こじつけたり見立てたりしながら、妄想することこそが面白さのひとつだ。そんなふうに「想像力」を働かせてみることこそ、僕たち視聴者の最大の武器なのだ。
(文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>)
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