ホンモノの殺人者たちが演じた戦慄の再現映像!!「彼はアカデミー賞を受賞することを望んでいた」
#映画 #インタビュー
■『ザ・コーヴ』は人種差別的。僕はあんなふうには撮らない
──この映画の存在を最初に知ったときは、2010年にアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した『ザ・コーヴ』(09)のような映画だと感じていました。米国人の監督がアジアのある国にやってきて、その国の隠された暗部をカメラで暴くという図式だろうと思ったんです。でも、この映画は“匿名”という形でインドネシアの方たちが多く参加し、何よりも殺戮者たちの心の暗部にまでジョシュア監督が踏み込んでいる点が『ザ・コーヴ』とは大きく異なっていますね。
ジョシュア そう言ってもらえると、うれしいです。『ザ・コーヴ』の監督とは面識はありませんが、あの映画は、僕は人種差別的だと思います。観ていて不愉快でした。僕だったら、あんなふうには撮らない。日本人の中にもイルカ漁に反対している活動家はいるはずです。そういう人を見つけてきて、イルカ漁問題にどのように対処するかを日本人と一緒に考えるという内容にしたほうがもっと効果的だったのではないでしょうか。『ザ・コーヴ』は米国人の監督が米国向けに作った作品でしたが、『アクト・オブ・キリング』は違います。当初、インドネシア政府は米国人の監督が作った映画として本作を無視しようとしていましたが、インドネシアの人たちが「この映画こそがインドネシアをきちんと描いている」と評価してくれたんです。実名を公表すると暴力に晒される危険があるため“匿名”となっていますが、60人ものインドネシアの方たちがスタッフとして参加してくれました。共同監督のひとりも“匿名希望”となっていますが、その人物とは取材撮影中に重要なディスカッションを重ね、また1年半に及んだ編集期間中は住居をロンドンに移してまで協力してくれたんです。映画の企画も、そもそもは殺戮の犠牲となった方たちの遺族やインドネシアの人権委員会に頼まれたもの。彼らが直接行動に移すと危険なため、代わりに僕が映画を撮ったという形なんです。『アクト・オブ・キリング』はインドネシア映画だと言っていいと思います。
──本作の主人公であるアンワルという人物について教えてください。かつては冷酷な殺戮者として鳴らした一方、粋なファッションを着こなすダンディさがあり、また孫を可愛がる好々爺という一面も持ち合わせている。ドキュメンタリー監督は取材対象者と長期間にわたって密接な時間を過ごすことで、心を許し合う関係になっていくと聞きます。ジョシュア監督は、彼とそのような関係になっていったのでしょうか?
ジョシュア 映画を撮影する際、ひとりの人物を誠実に描くには、その人物と近しい存在に自分がならなくては無理だと僕は考えています。誰かと親しくなるには、自分の想像力や共感や思いやりを通して近づくしかありません。言い換えるなら、もし自分が彼の立場だったらどうだろうと考えることで、心の距離を縮めることができるわけです。自分のことを理解し、心を開いてくれる人間を、相手は受け入れてくれるのではないでしょうか。ドキュメンタリー製作者の中には「客観的な立場から描かなくてはいけない」と主張する人もいますが、僕はそう思いません。例えば地図を描くとか法律で犯罪者を裁くとかは距離を置くことで冷静な判断をすることができるかもしれませんが、映画づくりは相手と距離を置いていてはできません。撮影取材中、僕はアンワルさんとずっと一緒に過ごし、アンワルさんは僕に対してすべてオープンに話してくれる関係になっていきました。だからこそ、普段の姿も隠さず見せてくれたし、悪夢に悩まされていることを打ち明けてくれたんです。食事も一緒にしていましたし、今でも連絡を取り合っていますよ。
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