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日刊サイゾー トップ > インタビュー  > ひとりの裁判官を丸裸にした『ゼウスの法廷』 司法の矛盾点を、高橋玄監督が白日の下にさらす!
『ポチの告白』のあの監督が、またまた問題作を放った!

ひとりの裁判官を丸裸にした『ゼウスの法廷』 司法の矛盾点を、高橋玄監督が白日の下にさらす!

zeus_noht03.jpg重過失致死罪で起訴された恵(小島聖)は、婚約を交わしていた加納から裁きを受けることなる。法廷が痴話喧嘩の場となる!?

高橋 総選挙の際に最高裁裁判官の国民審査も同時に行われますが、あれなんかとんでもないインチキ。どんな選挙だって、投票用紙に何も記入しなかったら無効票です。ところが国民審査では、白紙投票が裁判官を信任したことになる。最近はネットを見れば、その裁判官が担当した主な裁判が分かるようになりましたが、投票所で裁判官の名前を初めて知る人がほとんどでしょう。政見放送みたいに、この裁判官は過去にどんな裁判を手掛け、どんな判決を下したのか事前に分かるようにするべきじゃないですか。要するに国民の関心が自分たちに向かないようにしているわけです。僕に言わせれば、裁判員制度も民意の反映ではなく、裁判官の仕事がどれだけ大変かを一般市民に分からせるためのもの。誰にも見えない壁に囲まれた世界で、裁判官はいろんなインチキやっているんじゃないですかと。日本の裁判所のセキュリティーだっていい加減なもので、ないに等しい。庶民は逆らうはずがないと、彼らが思い込んでいるからです。日本人は司法をはじめ権力側の問題に意識がなかなか向かわないけれど、それは仕方ないことでもあるんです。我々は武装解除させられ、現行犯の私人逮捕を除けば逮捕や捜査権は警察、司法は裁判所に託した形になっている。もっと言えば、日本は政治も産業も文化もすべて東京に一極集中化し、東京=中央には逆らえないという風潮を生み出している。長きにわたって権力者側には逆らえない空気が、この国を覆っているんです。これを一個人が突き破ることは簡単なことではないですよ。

 かたくななまでに保守的で閉鎖的な司法界に自浄化を求めるのは、どうやら無理らしい。冤罪事件をマスメディアが取り上げ、抗議運動を起こしても意味がないのだろうか?

高橋 寺西さんに尋ねたところ、寺西さんは新聞を契約していないし、テレビも置かず、インターネットもつないでいないそうです。携帯電話を寺西さんが持っていないのは極端かもしれないけど、裁判官がいかに外部の情報を遮断するように努めているかがうかがえます。裁判所の前で市民団体が不当判決を許すなというデモ抗議をしますが、ああいう抗議活動をしても裁判所の中にはまるで届かない。でも、声を上げていくことは大事です。一部の市民運動で終わらせず、もっと広げていかなくてはいけない。お買い物している主婦たちが「裁判所って変だよね」と、話題にするくらい常識化しないと世論にはならない。庶民的レベルで問題意識を広めていくことが必要でしょう。

 法廷で裁判官が絶対的な権力者として振る舞う姿が劇中で描かれるが、『ゼウスの法廷』という題名は逆説的な意味からネーミングしたものだと高橋監督は語る。

高橋 権力者とは一体何者なんだろうということです。本来は主権者である我々国民が、彼ら公務員や政治家を権力者にしてあげているわけです。ゼウスとは万能の神のことですが、実在しないフィクション上の存在。日本の司法界には最高裁判所の長官はいても、ゼウスのような絶対的な権力者は存在しない。権力者がいるように我々は思い込まされているだけなんです。まっとうな社会を作っていくには、まずそこを見間違えないようにしないといけない。そして、この国の主権者である我々は、ずっと怠ってきた自分の頭で判断するという習慣をこれから身に付けていかなくちゃいけない。

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