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『ポチの告白』のあの監督が、またまた問題作を放った!

ひとりの裁判官を丸裸にした『ゼウスの法廷』 司法の矛盾点を、高橋玄監督が白日の下にさらす!

zeus_noht02.jpgエリート裁判官への道を突き進む加納(塩谷瞬)だが、女性問題でつまずくことに。ちなみに、本作は塩谷のスキャンダル発覚以前に撮影された。

高橋 警察官以上によく分からない、裁判官の日常を可視化してみようという発想です。法衣を着て、エラそうに法壇に座っている裁判官をひとりの人間として描くことで、司法の問題点が浮かび上がってくるに違いないと考えたんです。裁判官は法律をどう解釈するかが仕事だとすれば、そこに感情的なものを入れることが原則的にはできないはず。それなのに「情状酌量」という言葉があったり、死刑判決などを宣告する際に「遺族の心痛は計り知れないものがある」などと唐突に感情を推し量ったりするわけです。これは一体、どういうことなんだと(苦笑)。そういった矛盾点をうまく組み込めば、面白い物語になるなと考えたんです。『ゼウスの法廷』は司法制度という暗黒の巨人に立ち向かっていくというお話ではありません。権力者とされる立場の人たちを、一人ひとりバラバラにして、裸にしたドラマなんです。たぶん、裁判官のセックスシーンを描いた、日本では初めての映画だと思いますよ(笑)。

■司法に正義を求めることは間違っている!?

 難解そうに感じられる司法制度の歪みを、『ゼウスの法廷』は分かりやすく、かつ面白いエンタテインメントドラマとして料理していく。『ポチの告白』同様、権力者を丸裸にしてしまう高橋監督の演出手腕はブレることがない。

高橋 司法を語る上で重要なポイントは、“法律とはその時代の常識にすぎない”ということ。戦争中は人を殺すことが義務であり、上官の命令に背いた者は敵前逃亡者として罰せられた。軍法であれ、当時はそれが正しかった。現在の法律だって、それが正しいとは限らない。そう考えると、法律を解釈することは正義でもなんでもない。現時点での社会の決め事がそうなっているだけのことだし、我々が合意している法律もほとんどが常識にすぎない。人を殺してはいけない、人の物を盗ってはいけない……。先日、現役判事の寺西和史さんと対談したんですが、寺西さんと考えが一致したのは「司法に正義を求めること自体が、そもそも間違い」ということ。例えば、強盗事件が起きた場合、貧乏な容疑者と裕福な容疑者がいた場合、貧乏な容疑者が不利になる。裕福な人間が強盗するはずがないという常識的判断に、法律的判断が譲られることが多いわけです。法律の運用のされ方って、そういう性質のもの。でも寺西さんは、だからこそ法律に定められている手続きはきちんとした上で判断しなくてはいけないと主張している。寺西さんは自白の強要につながりやすい代用監獄に反対し続け、拘留請求を却下してきた。自分の思想性や意見を語ることのない裁判官の中にあって、寺西さんは非常に珍しい存在ですよ。

 2009年から裁判員制度が導入されたものの、一般市民が刑事裁判に関わる機会は極めて少ない。衆議院議員選挙の際に最高裁判所裁判官の国民審査が行われるが、ほとんどの有権者は戸惑って白紙で投票しているのではないだろうか。

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