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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > “レジェント”葛西、長野の雪辱
アスリート列伝 第9回

「金メダルを獲るまでは、絶対に辞められない」スキージャンプ・葛西紀明を奮い立たせた、長野の雪辱

kasai0204.jpg葛西紀明オフィシャルブログより

アスリートの自伝・評伝から読み解く、本物の男の生き方――。

 1998年に開催された長野オリンピック。スキージャンプ団体で、日本代表は2位のドイツを30ポイント以上引き離す驚異的な記録で金メダルをものにした。その活躍は、72年の札幌五輪の「日の丸飛行隊」を彷彿とさせ、日本中を熱狂の渦に巻き込んでいった。この快進撃の中心地となったのは長野県・白馬ジャンプ競技場。しかし、このジャンプ台の横で、歯を食いしばりながら彼らのジャンプを見ている男がいた。

 彼の名は葛西紀明。今年41歳を数える、日本のトップスキージャンパーだ。

 長野の4年前、94年に開催されたリレハンメル五輪で、銀メダルを獲得していた葛西。その実績も実力も、団体代表選手として出場するには申し分ないものだった。しかし、オリンピックシーズンに足首を捻挫し、その後、無理を押して試合に出場し続けたことが災いした。結局、本調子が戻らぬまま長野五輪を迎えた葛西は、ノーマルヒルこそ出場メンバーに入れたものの、小野学ヘッドコーチ(当時)はラージヒル個人、ラージヒル団体で彼を選手として選ばなかった。そして、その読みは見事的中し、日本チームはラージヒル個人で船木和喜の金メダルと原田雅彦の銅メダル、ラージヒル団体での金メダルを獲得したのだ。

 当時を振り返るとき、葛西は平常心ではいられない。

「長野五輪で金メダルを取れなかったというのが、僕の人生の中で一番悔しい思い出なんです。五輪が近くなるとあの映像が流れるから、その度に腹が立ってくるんです。みんなが金メダルを持っているのに、W杯の成績では負けていない自分が持っていないのは許せなくて……それでモチベーションがすごく上がるんです。『金メダルを獲るまでは、絶対に辞められないぞ!』と思うんです」(『日本ジャンプ陣 栄光への挑戦!』世界文化社)

 あの苦い経験から16年がたち、ソルトレイクシティー、トリノ、バンクーバーという3回の冬季五輪が開催された。しかし、欧米系の選手に比較して体格の小さい日本人選手には不利になるルール改正などが影響し、金メダルはおろか、メダル争いにすらも絡むことはできなかった。そして、いつの間にか葛西は40歳の大台を越えていた。

 普通の選手ならば、当然引退を考えるだろう。しかし、葛西は違った。その肉体を極限まで酷使し、若い選手も舌を巻くような体力を維持し続けた。その筋力は、40歳を越えた今でも、ウエイトトレーニングで軽々と100kgを持ち上げているほどだ。

「自分の体をいじめるのが好きなんですね。だから毎日走ってるし、家の中にもウエイトルームを作っているんです。(中略)そういうところでは僕が一番、陰のトレーニングをしていますね」(同)

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