『明日、ママがいない』に見る、子役たちの生きる道
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第1話では里親を子どもたちが候補から選び、数日間の「お試し」を経て養子縁組を決めるというドラマ独自のシステムが、裕福な里親候補と「お試し」をするポストと、小さなラーメン屋を営む夫婦が里親になるダイフク(田中奏生)との対比を通して描かれている。
ラーメン屋の手伝いを強いられるダイフクは、やがて施設に逃げ帰る。しかし、その理由は、手伝いが嫌だったからではない。「お母さん」「お父さん」と呼ぶのが、まだどうしてもできなかったからだ。他人を「お母さん」と呼ぶのは「お母さんを裏切ること」であり、そんなことできないと安易にダイフクに共感する真希。その姿に舌打ちして魔王は言う。
「忘れるな、先に裏切られたのはお前らだ」
実際に、真希は母に裏切られることになる。施設にやってきた母は娘を前に、殴った恋人との復縁を宣言する。戸惑いながらも「みんなで楽しく暮らそう」と言う娘に、母は「それはダメ」と断言するのだ。
「真希は、ここで暮らすほうが幸せになれる」と。
「今日って生ごみの日だっけ? 1月18日、今日アンタがママに捨てられた日だ」
と言うポストに、真希は「違う」と反論する。そこでポストは、こう返すのだ。
「そう、違う。今日、アンタが親を捨てた日にするんだ」
自分たちは捨てられたのではない。自分たちが捨てたのだ。そう考えなければ前を向くことができない。母は女であることを選んだ。それを理解した時、ついに真希は自ら名前を捨てる。
「ドンキだよ、私の名前は今日からドンキ」
普通は親も名前も選べない。だけど、自分たちは(里)親も名前だって選ぶことができる。自らの帰る場所、すなわち生きる道を自分で選ぶことができるのだ。いや、自分で選ぶしかない。そんな子どもたちは痛々しくもたくましい。しかし一方で、ポストは泣きながら本音を吐露するのだ。
「本当のママが自分を愛してくれる――。それ以上の幸せって、なんなんだよ!」
これは、捨てられた子どもたちに限られた物語ではない。いかに厳しい現実を受け入れ、立ち向かっていくか。そして自分の生きる道をどのように選択していくかを問う物語だ。彼女たちの叫びや振る舞いに、子役たちの悲哀をも同時に感じてしまうのはうがった見方だろうか?
(文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>)
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