文学は悪女とビッチと売春婦でできている──『萌える名作文学 ヒロイン・コレクション』
#雑誌 #出版 #昼間たかしの「100人にしかわからない本千冊」
とはいっても、「危うく萌え殺されるところだったよ……」と言えるほど萌えてやる気で読み込めば、自ずと答えは見えてくるのだ。そもそも、自分が萌えているヒロインばかりなので、当然といえば当然でもあるが。
例えば、エミール・ゾラの『ナナ』のヒロイン・ナナは売春婦であるが、その生き様に萌え殺されそうだ。散々名声を得て金持ちになったかと思いきや、あっという間にカネがなくなって、ならばと街娼を始める。挙げ句に、学校時代の友人とは同性愛になるし、小間使いの女は散々こき使われているのに、女主人ラブ。この周囲を自分色に巻き込みっぷりは、スゲエよ! ゆえにナナが小間使いを「間抜け」と罵ったところ、「あたくし、こんなに奥様が好きで……」とさめざめと泣くシーンを推すしかなかったのだ。文豪・ゾラが「このシーンで萌えてくれ」と思って書いたかどうかは知らないが、萌える(もっとも、ゾラの『居酒屋』『ナナ』など20作品から成る「ルーゴン・マッカール叢書」は、主要登場人物がすべて血縁。まあ、19世紀フランスにおけるOverflowのエロゲーと考えてよい)。
日本では『三銃士』のタイトルで知られている『ダルタニャン物語』の悪女・ミレディーも、萌え要素が尽きないヒロインだ。みんなストーリーは知っていると思うので、ネタバレ気味に話すと、第一部の最後でミレディーは処刑されてしまうわけだが、最後まで逃げようとしたり往生際の悪さがまさに悪女の鏡である。「いずれ仇を討たれるんだから」という捨てゼリフが第二部『二十年後』で現実になるところも、まさに悪女の本領発揮といったところ。
つまり、本書を通して読者が知ることができるのは、現代の漫画・アニメで描かれるヒロインのほとんどの類型は、すでに20世紀前半までに発明されていたということだ。島崎藤村は『新生』でヤンデレヒロイン・節子を描いている。押川春浪『銀山王』は、薄幸と高慢の2つのタイプの令嬢ヒロインの織りなす物語だ。
その上で見えてくるのは、結局、魅力的なヒロインには「悪女・ビッチ・売春婦」の要素が不可欠ということだ。今さら「処女厨」でもあるまいに、黒髪ロングの一途な清純ヒロインのどこに魅力があろうか、と筆者は思う。本書が刊行されたとき、筆者の選んだヒロインを見て多くの人に「いったい、どんな人生を歩んできたら悪女・ビッチ・売春婦にばっか、萌えるようになるんですか?」と聞かれた。
そんなもの、自分でわかっていたら苦労はしない。畜生! 来年の今月今夜のこの月は、俺の涙で曇らせてやる!
(文=昼間たかし)
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