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週刊誌スクープ大賞

週刊ポスト VS 朝日・読売新聞 仁義なき“新聞広告エロタイトル”闘争

 毅代議士が「都知事選の応援で、猪瀬は1億5000万円とか言ってきました。でも結局は1億を先にくれ。残ったら、“返すから”という話になりました」

 すると、虎雄氏は「とりあえず5000万円にしろ」と言ったという。

 「受け渡しはどうしましょうか」と言う毅代議士に「向こうに取りに来させろ」、毅代議士が「議員会館でやりましょうか」と言うと「議員会館でやれ。足がつかないようにしろ」と指示があったというのだ。

 これは決定的な「証言」である。文春で書いているように、一水会の木村三浩代表が仲介して、猪瀬氏は虎雄氏に会い、虎雄氏から都知事選挙の応援をするという約束をもらい、後日5000万円を受け取ったのである。

 選挙には意外にカネがかからず、5000万円は手付かずだったようだが、明らかに選挙のための裏金であり、個人的な借金ではないだろう。

 新潮で元東京地検公安部長の若狭勝弁護士が、この事件の展望をこう語っている。

「徳洲会の一部幹部が“借用書なんて知らない”“返金の打診を受けていない”と証言しているため、5000万円は寄付と見なせる可能性がある。出納責任者への報告を怠っており、公選法でダイレクトに猪瀬知事の責任を問えます。私はむしろ借用書が出てきた方が面白いと思っていました。特捜はそれが偽造されたものかどうか、必死で調べることになりますから」

 現代は、安倍首相が猪瀬切りをすると書いている。現役の東京地検検事がこう語っている。

「上層部は『こうなる前に、猪瀬は辞職表明するはずだった』と漏らしています。一方で、安倍総理が『外聞が悪い』としきりにボヤいているという話も伝わってきている。要するにウチの上層部と官邸の間で、辞職させるから立件は見送るという内々の了解があったんでしょう。だが、猪瀬は辞職すれば、かつての金丸信(副総理)のように逮捕されると考えて、都知事の座にしがみつくことを選んだ。もう官邸は守ってくれない」

 なぜ、徳洲会がポンと5000万円もの大金を猪瀬氏に出したのか? 現代は、徳洲会側が知事の許認可権をあてにして出したのではないかと見ている。

 東京五輪への悪影響も心配されると現代は書いているが、猪瀬氏が都知事に居座ると、そうしたことも出てくるかもしれない。早くも辞任した後の都知事選挙の予測までしているが、本命は舛添要一元厚労相が有力だそうである。

 猪瀬氏は、87年に『ミカドの肖像』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞し、小泉純一郎政権下で道路公団民営化推進委員会の委員になり、政界への足がかりを作る。上昇志向と権力欲が異常なほど強く、あの小さな体で人を威圧する態度をとる彼に、ノンフィクション界の先輩や仲間からも嫌がられていた。だが、400万票以上を集め、東京五輪招致まで決まり、得意の絶頂で事件が発覚してしまった。

 新潮で、かつて民営化推進委員会で一緒になった関係者がこう指摘している。

「猪瀬さんという人は、一見、改革派の旗印を掲げているように見えます。しかし、それと権力志向とは二律背反ではありません。つまり、彼は権力を掴むためにはどう行動すべきかを一貫して考えていた。反権力的な動きをし、人気を勝ち取った上で、権力の中枢に食い込んでいく手法です」

 猪瀬氏が私淑していたノンフィクション作家の本田靖春さんは、猪瀬氏を嫌っていた。彼とは生き方がまったく違うと『我、拗ね者として生涯を閉ず』(講談社)で書いている。本田さんは「気の弱い人間である」から、いささかでも強くなるために自分に課した禁止事項があると『拗ね者』で書いている。

「欲の第一に挙げられるのが、金銭欲であろう。それに次ぐのが出世欲ということになろうか。それと背中合わせに名誉欲というものがある。これらの欲を持つとき、人間はおかしくなる。いっそそういうものを断ってしまえば、怖いものなしになるのではないか」

 5000万円のカネをほとんど面識のない人間からもらって平気な人間には、ノンフィクションを書く資格はないと、本田さんが生きていたら断じたであろう。

 都知事という座にしがみついても地獄、離れてもノンフィクション作家には戻れまい。書けるのは『なぜ私は5000万円で都知事の座を棒に振ったのか』という私ノンフィクションぐらいのものであろう。それはそれで読んでみたい気はするが。
(文=元木昌彦)

●もとき・まさひこ
1945年11月生まれ。早稲田大学商学部卒業後、講談社入社。90年より「FRIDAY」編集長、92年から97年まで「週刊現代」編集長。99年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長を経て、06年講談社退社。07年2月から08年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(2006年8月28日創刊)で、編集長、代表取締役社長を務める。現「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催、編集プロデュースの他に、上智大学、法政大学、大正大学、明治学院大学などで教鞭を執る。 

最終更新:2013/12/02 21:00
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