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日刊サイゾー トップ > インタビュー  > 格闘ゲーム世界一の勝負論

格闘ゲーム世界一の男が見る世界の風景とは? ウメハラが『勝負論 ウメハラの流儀』に込めたメッセージ

梅原 成長というものに関して、他人の価値観はどうだっていいんです。自分がどれだけ成長して、どれだけ素晴らしいかなんて、時代や国、接している人によってその基準は変わってしまいます。自分にとって成長する目的は、負い目を感じないように生きていくことです。それを一番に考えると、人の目を気にしないというよりは、気にしていられないんですよね。他人の評価を基準にしてしまうと、目的を達成するのは無理だと思います。自分の内面から聞こえる「お前は成長してないんじゃないか」という声にはすごく敏感なんですけど、世間からくる圧力に関しては、ほとんど影響を受けないようにしています。

──本書では、毎回の勝負が特別な舞台と思わないように意識したり、勝ってもその余韻に浸ったりしない、といったセルフコントロールを心がけていると書かれています。成長に対する意識も含めて、梅原さんは非常に自己を客観視されていますよね。その目線は、いつ頃から生まれたと思いますか?

梅原 子どもの頃から、けっこう普通にやっていました。12~13歳くらいからずっとゲームセンターにいたんですが、対戦ゲームとはいえそこに人間同士が関わっているので、反面教師になることや、勝者と敗者のデータやサンプルがいっぱいある場所なんですよね。自分は人間観察が好きだったので、どうすれば自分のモチベーションや強さを維持できるかというのはずっと考えていました。

 そこで出した結論としては、一回一回の勝負で集中力を途切れさせないことが一番だということです。一回勝ったから休もう、となった時に、じゃあ次はいつから始めるのか、次に始める時は前と同じくらいやる気があるのかなど、いろいろな問題があることが分かったので、勝とうが負けようが一定のペースでやることを心がけて実践しています。

──自己の成長を最大の目標にした時に、勝負の大小やイベントのステージ上かどうかはもはや関係なく、いずれも等しく一つの通過点でしかないということですね。

梅原 そういうことです。

──もしかしたら梅原さんは、周りの人はおろか、自分すらも分析の対象なのかもしれませんね。

梅原 はい。昔からそうなんですけど、「この人はこの人だから」「これはこういうものだから」とは、あまり考えないんです。学校の先生とかがよく言う「これはこういうものとして覚えなさい」「偉い人が考えた法則だから覚えなさい」というのが大嫌いだったんです。人間に対しても同じで、「あの人はああいう人だから」っていうのが嫌で、あの人はなぜああいう人なのか、なぜ勝っているのか分析するのがすごい好きなんです。それで分析していくと、すべてが分かるわけではないけど、やっぱり「ここは間違いないな」とか「勝つ上で、ここは絶対に外せない」という法則みたいなものがいくつか見えてくるんです。だから、自分はそういう「ここは間違いない共通点ですよ」ということだけを言っているつもりなんですよね。

■ウメハラのプレーが感動できる理由

──梅原さんは、紆余曲折を経て、現在のプロゲーマーという仕事にたどり着きました。世界チャンピオンの地位まで上り詰めたゲーマーとしての地位を捨てて、ゼロの状態からプロ雀士を目指すべく麻雀の世界に入り、再びその道を捨てて社会人としての生き方を選んだ末に、あらためてプロゲーマーとしてゲームの世界に戻ってきました。この時の年齢が30歳前ということで、勇気をもらった同年代の人も多いのではないでしょうか。

梅原 そうですよね。いざ“この仕事をやる”と決めても、不安な気持ちが先に立って、なかなか別の世界に行くというのは難しいと思います。ただ、きっと自分は己の感情に敏感なんですよね。今、自分はすごく嫌な我慢をしてるんじゃないかとか、ここに希望を感じてないなとかね。でも、食べていかなきゃいけないという理由で、その感情に目をつぶってしまう人が多い中でも、自分にとってはこの我慢を続けるほうが不幸せなんです。世間から見たら生き方を間違っているとか、恥ずかしい選択をしているのでは、と頭をよぎるんですが、間違いなくこっちの生き方のほうが充実しているし、長い目で見れば自分にとっては楽しい人生になるに違いないと思ったら、行動しちゃうんです。でも、さすがにプロゲーマーになる時はちょっと考えました。ゲームは好きでずっとやってきたし、間違いなく自分にとって一番得意なことだけど、どう考えてもそれは仕事にはなり得ないだろうと一度は確信したから、ゲームをやめたんです。プロは存在し得ないと自分の中で何年か前に結論を出しているから、たぶん他の人よりもプロゲーマーという仕事に対して否定的な気持ちが強かったんです。でも10年だか20年だかたった時に、当時、自分しかできなかったはずのプロゲーマーという仕事をしていたらどうなっていたんだろうと後悔するのは嫌だなと思ったので、プロゲーマーになることを決意しました。

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