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100人にしかわからない本千冊17冊目

ミニコミが熱かった時代「平凡パンチ」1975年2月5日号 「ミニコミ第三世代に注目」

 そして、今は21世紀。ワイワイガヤガヤした制作風景は、もう聞かない。大学生レベルでも「PDFで入稿してネ!」とか、器用なヤツがInDesignでカッコイイデザインをつくっちゃう時代なのだ。こうしてモノをつくる作業は個人の中へと埋没している。スタイリッシュなデザインは、手に取る者を満足させても、長く記憶に止めるものは少ない。

 さて、ミニコミはいかにして生まれてきたものなのか? 「平凡パンチ」1979年2月5日号に掲載された「ミニコミ第三世代百花繚乱」は、こう綴る。

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「ミニコミが、そもそも若者文化の旗手として世の中に登場してきたのは、あの68~69年の学園闘争以降のことだ。自分たちのパワーで既成社会に変革を迫ったあの闘争もけっきょく、機動隊の圧倒的な力の前に、敗退せざるをえなかった。

 そうしたなかで、闘争挫折派のヤングが、政治的な戦いを文化的なレベルでの闘いにスイッチバックさせる形で、新たに生み出したのが、ガリ版刷りやタイプ印刷のミニコミ雑誌群だったのだ。

 いわゆる大人社会への対抗文化設立を目指す、“怒れる若者たち”からの紙つぶてとして、これらのメディアは、世の中へ放たれた。

 あれからちょうどまる10周年を迎えた今、ミニコミ自体もかなりの変化をとげている。つまり、おフザケとパロディとに満ちたナンパのメディアが激増している」

 ここに示されるように、そもそもミニコミは漠然としたカウンターカルチャーの意識の中で、生まれ出たものだった。しかし、それは、あくまで漠然としたものにすぎなかった。ここに示されるように、わずか10年の間に、ミニコミという媒体を使って体制に、あるいは世の中に牙を剥く意識は、飛び去った。でも、若者の情熱が冷め切ったというわけじゃない。それは、本気の消費文化として蘇ったのである。

 この記事では、前述の闘争に挫折した世代を第一世代として、1979年当時には既に第三世代に移行していると述べている。

 すなわち第二世代とは

「手書き文字をそのまま軽オフセット印刷にかけたという新聞スタイルのフリープレス群である」

 とする。そして、第三世代とは77年ごろから勃興してきた

「いわゆる街の情報誌のスタイルをとったタウン誌と各大学のキャンパス・マガジンの2つの傾向」

 からなるものだとする。

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