ミニコミが熱かった時代「平凡パンチ」1975年2月5日号 「ミニコミ第三世代に注目」
#雑誌 #出版 #昼間たかしの「100人にしかわからない本千冊」
もはや「ミニコミ」なんて言葉は、通用しない世代のほうが多数派になっているんじゃなかろうか。まず、Googleで検索してみたのだが、最上位に表示されたのは「日本語俗語辞書」なるサイトの用語解説(http://zokugo-dict.com/32mi/minikomisi.htm)。ここでは「ミニコミ誌とは、自主制作雑誌の総称」として解説している。対して、多くのサブカルチャー用語が掲載されているWikipediaには、「ミニコミ」「ミニコミ誌」の項目はない。
ミニコミ誌は、いわば同人誌の一形態である。いや、同人誌がミニコミ誌の一形態なのかもしれない。その境界線は極めて曖昧だが、同人誌は掲載される記事が特定のジャンルや目的に絞られたもの。対して、ミニコミ誌は雑誌的といえるだろう。いずれにしても、制作する人々が、どう認識しているか次第だ。百花繚乱のコミックマーケットの中でも、同人誌というよりもミニコミと表現したほうがよいサークルは、数少ない。長らく刊行されている「漫画の手帖」あたりが、古きよきミニコミのスタイルを守っている数少ないものだろう(と、再びGoogleで検索してみたら「漫画の手帖」はWikipediaに「漫画に関するミニコミ誌」としてページがあった)。
かつて、インターネットも携帯電話もなかった時代。若者が、情報発信を行うツールとして使ったのが、ミニコミ誌であった。どこの大学にも、ミニコミ誌の1つや2つは必ずあった。オフセット印刷の高級なものは少数派で、多くはガリ版や、ちょっと時代が進んでリソグラフで印刷したものを、ホチキスで製本したものであった。
ちょっと回想。筆者が大学生だった90年代半ばは、振り返ればちょうど時代の端境期だったろう。まだ、ワープロを所有している同級生は少なく、パソコンとなると指で数えられる程度のマニアックなものだった。それでも、多くの人がミニコミ的なものは制作していた。筆者の通っていた大学の場合、ミニコミ誌制作を掲げるサークルは、どういう事情か勢いを失っていたが、文芸系サークルとか、研究系のサークルは、会報とか会誌という形で、ミニコミ的なものを制作していた。その制作風景も、今となっては化石的だと、この文章を書き始めて気づいた。
当時の制作スタイル。まず、ワープロで原稿を制作するのは、ごく少数派。PCを所有していてもテキストデータなんて言葉は、ほぼ誰も知らない世界。原稿は、緑の方眼が入ったレイアウト用紙に直接書き込むか、ワープロで入力したのをプリントアウトして、切り貼りするものであった。直接、レイアウト用紙に原稿を書くときも、いちいち鉛筆で書いて下書きするのは面倒くさくて、直接ペンで書いていき、間違ったら修正液を塗りたくるのが常套手段だった。そう、あの頃は、文房具の中で修正液が欠かせない時代だったのだ。原稿が揃ったら、ページに間違いないか確認をして、リソグラフで印刷。だいたい、〆切を設定していても、誰もが守るはずもない。ゆえに、リソグラフで印刷したあたりで、サークルボックス or 学生会館を追い出されて、誰かの家で「紙をトントンする作業」「紙を折る作業」「閉じていく作業」を繰り返し、気がついたら、朝という感じ。だいたい、印刷の前の段階。原稿を揃えているあたりから、合宿である。なにしろ、1人か2人かは、原稿を揃えている段になって、ようやく原稿を書き始める……。研究系のサークルだと、真面目に研究論文を書くヤツがいる一方で、1人か2人かは「……次回に続く」と2ページ目で終わるヤツ、趣味か食い物の話か、合宿の思い出を書いてお茶を濁すヤツが出る。
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