「ムルギーランチは、ただの“料理”じゃない」東京カリ~番長が語る、ナイルレストランの美学
#インタビュー
店のガラス戸を開けると、インド人の店員・ラジャンが大きな目でじろりとこちらを睨みつけてくる。メニューも見せず、「ムルギーランチでいい?」と一言。しばらくすると、チキンとキャベツ、ポテトがトッピングされたカレー「ムルギーランチ」が運ばれる。客の目の前でチキンから骨を抜き取り、お馴染みのフレーズ「カンペキに、混じぇて食べて」と言い残して去っていくラジャン。ウワサによれば、ここで、混ぜなければ怒られるらしい……。
「ナイルレストラン」は、おそらく日本で一番愛されているインド料理店だ。インド独立運動に携わっていた革命家であるA・M・ナイルが創業した日本初のインドレストラン。東銀座・昭和通り沿いに店を構え、歌舞伎座楽屋口の向かいにあることから、故・中村勘三郎をはじめ、数々の歌舞伎役者に愛されるばかりでなく、タモリや関根勤などの芸能人、また松竹や電通に勤めるビジネスマンにまで愛されている。
いったい、ナイルレストランは、ほかのインド料理店と何が異なっているのか? 「東京カリ~番長」としても活躍し、『銀座ナイルレストラン物語』(小学館)の著作がある水野仁輔氏に、そのナイル愛を聞いた!
――水野さんがナイルレストランに初めて入ったのは、いつ頃ですか?
水野仁輔氏(以下、水野) 大学生の頃だから、もう20年くらい前になります。カレーを食べ歩く中で、名店のひとつとして食べました。その頃は、創業者のA・M・ナイルさんが、お店に立っていたかいないかという時期。2代目のG・M・ナイルさんが店を切り盛りしていました。
――当時、ムルギーランチを食べた感想は?
水野 ナイルレストランの看板メニューであるムルギーランチは、おいしいと思っていました。けれども、自分でカレーを作ったり、いろんな店に行ったりもしていますから、ムルギーランチよりもおいしいと思うカレーもいっぱいあって、ムルギーランチが一番、というわけではありませんでした。
――決して「ムルギーランチ信者」というわけではなかった。ではなぜ、ナイルレストランに関する本を執筆するくらい、どっぷりと漬かってしまったんでしょうか?
水野 「カリ~番長」の活動を開始し、雑誌やガイド本などで文章を書く中で、「お店の常連に勝てないのではないか」というジレンマがありました。僕の記事を読んで「店のよさがわかっていない」と思う常連はきっといるはず。そこで、どこかの店舗の常連になり、常連がどういう気持ちでお店に通うのかを知りたかった。それを踏まえれば、また別の文章が書けると思ったんです。そこで、ナイルレストランの常連になろうと思った。
ナイルレストランは1949年に創業した日本で最も古いインド料理店ですから、常連になる価値はあります。何十回も通って、顔を覚えてもらい、声をかけてもらえるようになり、ようやく名前を呼んでもらうところまで行き着きました。初めて店主のG・Mナイルさんから「水野くん」と呼んでもらったときは、うれしかったですね。
――常連になると、味も変わってくるのでしょうか?
水野 常連になることによって、ムルギーランチが別物のカレーになりました。
――「別物」……というと?
水野 それまではムルギーランチを料理として客観的に分析していましたが、常連になってからはただの「料理」としては味わえなくなった。店に入り、ナイルさんやラジャンと言葉を交わし、2階に上がって、ハーフライスのムルギーランチを食べる。それらの一連を含めた主観的な「体験」がナイルレストランです。客観的な評価はできません。
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