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『ベイビー大丈夫かっ BEATCHILD1987』公開記念 白井貴子インタビュー

尾崎豊、BOOWY、ブルーハーツが豪雨の中で競演! 地獄の第1回フジロックよりヒドい、史上最低のロックフェス

bc01.jpg(C)2013 映画『ベイビー大丈夫かっ BEATCHILD 1987』製作委員会

 その場にいる7万2000人が、ほとんど遭難同然。断続的に降りしきる雨は誰しもの身体を芯から冷やし、体力と気力を奪っていく。観客にはサンダル履きやTシャツ程度の軽装も目につく。緑の傾斜の上からはとめどなく泥水が流れ、それがスタッフルームにまで押し寄せる。強い風雨の前には、持参した傘もロクに役に立たない。近隣の学校の体育館には、体調を崩した500人が緊急搬送されたという。

 しかし、出演者には当時を代表するロック・アーティストがズラリ。尾崎豊、BOOWY、佐野元春、HOUND DOG、RED WARRIORS……それにTHE BLUE HEARTSに、岡村靖幸も。天国と地獄が背中合わせのまま、夜通しで続いた12時間の宴。1987年8月22日に阿蘇のふもとで行われたこの野外音楽フェスティバル<BEATCHILD>を映画化したのが『ベイビー大丈夫かっ BEATCHILD1987』である。

「記憶のある部分と、まったく忘れている部分と、ありましたね。まるで失った記憶を取り戻すような感じで見ていましたけど……見終わった印象は、いろんな意味で<すごいな>ということでした」

bc04.jpg上から佐野元春、尾崎豊、THE BLUE HEARTS
(C)2013 映画『ベイビー大丈夫かっ BEATCHILD 1987』製作委員会

 感慨深そうに語るのは、当日の出演者のひとりだった白井貴子。80年代屈指の女性ロック・ヴォーカリストであった彼女は、このフェス<BEATCHILD>の前半でステージに立った。朝から昼にかけて強風や豪雨に見舞われた会場は、夕刻の開演時からは小雨程度に落ち着いていたのだが、白井の出番直前からドシャ降りになってしまう。すでに濡れネズミの観客たちをさらにビショビショにしていく雨は舞台上にも機材関係の混乱を引き起こし、スタッフたちはてんやわんや。白井はそんな極限状態でマイクに向かわなければならなかった。カメラが収めた舞台袖で待機する彼女の横顔は、明らかに脅えている。

「やっぱり不安でしたね。あの時は、来てくれた人を守ってあげたい、雨の当たらない、暖かいところに連れていってあげたいという気持ちと、いやいや違う、こんな豪雨を克服するライヴをすべきなんだと思う自分とがありました。あともうひとりの自分は<誰か中止って言ってくれないかな>と思ってましたね。どんなライヴができるだろう? という不安もあったし……いろんなものが相まって、あんな顔になっちゃったんだと思います。でも映像を見ると、意外と朗らかに歌っていたので、うわぁよかった、と思いました(笑)」

 とはいえ、映像で確認する限りでも、尋常でない状況は伝わってくる。ステージ上は屋根もないので、豪雨はすべて白井とバンドの上に直接降り注ぐ。そのため、すぐにギターの音が出なくなるトラブルが発生、バンドはドラムセットの上に急遽組まれたテントの下で演奏することになる。さらに強まる雨の中では、感電の恐怖だってあっただろう。それでも気丈にパフォーマンスを続ける白井は、どうにか観客の頑張りに応えようと、バケツの水をかぶったりする。

「目の前からバンドメンバーがひとり消え、またひとり消え、最後にはモニターもなくなりました。ひどい状況は慣れっこでしたけど、あそこまでひどいことはなかったですね。特に私の時は豪雨だったし……こんな状況だから<もう裸一貫、やるしかない>という思いでした。あの大変な中、ファンの人たちはじっとこらえて私たちを待ち続けてくれたし、ライヴを成立させるために裏方スタッフは死にもの狂いで動いてくれていたわけですからね。舞台に飛び出してからは、やめようとは、これっぽっちも思わなかったです。アンプもダメになったけど、よそのバンドのを借りてきてくれて、音が出るようになったし。あの時のファンの人とスタッフには、頭が上がらないです」

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