「狙うはオネエハーフタレント枠」“オネエすぎる一流イケメンモデル” IVANって何者!?
#インタビュー #IVAN
――そこからどう立ち直ったんですか?
IVAN ちょうど母が海外からビザの申請で日本に来ていて(※IVANの母親はメキシコ人)、私がいなくなったって聞いて、あちこち探し回っていたみたいで。その頃、母の知人の家の近くの路上で寝泊まりしていたので、ばったり道端で再開して……。2人とも号泣でしたね。それで一緒に海外に行って、2年くらい生活していました。
――やっぱり、ホームレスはつらかったですか?
IVAN つらいというより、“ここまで落ちたか”という絶望のほうが大きかったです。モデル業界で頂点を見て、華やかなところにいて、着るものにも食べるものにも困らなくて。輝いている時って、周りってすごいんですよ。「姫、姫」ってもてはやされて、何をやってもOK。それとホームレスという境遇が本当に真逆すぎて……。モデル時代のいい思い出を思い出しながら、日々過ごしてました。フランス行った時に食べたクリームブリュレ思い浮かべながら、そのへんの草食べたり……。そこまで落ちたっていう自覚はあったので、あとは死ぬか上がるしかないと思っていました。絶望と希望の狭間って感じでしたね。もし母と会わなかったら二丁目で働いてるか、ヘタしたらホストになってたかも。
――芸能界に戻ったワケは?
IVAN やっぱり業界に未練があったので、最後のチャンスだと思って日本に帰ってきたんです。友達のカフェで働きながら基盤を作り、今の事務所を紹介してもらいました。今後はバラエティを中心に、とりあえず目の前にある仕事を一つひとつこなしていけたらなと思っています。将来的には、セルフプロデュースできるようになりたいですね。IVANというブランドを発信していきたいなって。それがどういう形になるか、まだわかりませんが。
――マツコ・デラックスさん、IKKOさんをはじめとするオネエタレントの方たちとは交流があるんですか?
IVAN いや、実はまだないんです。周りから派閥がすごいとか、あーだこーだ言われるので、ちょっと今から不安なんですけど……。先輩方、お手柔らかにお願いします!
(取材・文=編集部)
●アイヴァン
メキシコ人の母と、スペイン人と日本人のハーフの父を持つクォーター。メキシコ生まれ。2歳の時に奈良に移住。1998年に沖縄アクターズスクール東京地区第1期生に選ばれ、約1年間、歌やダンスのレッスンを受ける。その後渡米し、カリフォルニア州の高校に進学。卒業後帰国し、モデル活動を始める。04年にはパリコレのモデルに選ばれ、世界のトップモデルとしても活躍。07年からPENICILLINのヴォーカリストであるHAKUEIの全面プロデュースによる音楽活動も始める。
あいばんのオフィシャルブログ
<http://ameblo.jp/ivan0209/>
●出演情報
・11/1(金)発売 雑誌「月間デ・ビュー」(オリコン・エンタテインメント)
・11/3(日)OA 『行列のできる法律相談所 親泣かせな芸能人はじめての親孝行SP』『有吉反省会』(ともに日本テレビ系)
・11/12(火)OA 『今夜くらべてみました』(同)
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