“いくえみ女子”はのび太? 不完全な“フツーの人”の成長物語『潔く柔く』
#マンガ #コミック #女子マンガが読みたくて
カンナも同様だ。いくえみキャラのセリフを集めたファンブック『いくえみ男子 ときどき女子 いくえみ綾 名言集』の中でも、いくえみはカンナについて「女子に嫌われ系」とバッサリとコメントしている。
こういうふうに紹介すると、多くの男の人に「あー、ヤダヤダ、女のドロドロしたドラマとか見たくない」と思われたりするのだけれども、いくえみ作品は深い影を持ちながら、どこかで泥沼感がない。むしろ、毒っ気があるからこそ、救いがある。
それはどういうことだろうと考えたとき、思い出したのは『ドラえもん』だった。「ドラえもん」の作者である藤子・F・不二雄は、常々「のび太は僕自身だ」と語っていた。何をやってもパッとしないのび太は自分の分身だと語り、「たいていの人たちは、自分の中に多かれ少なかれ”野比のび太”を抱え込んでいるのではないでしょうか」と述べている。
そんなのび太がひとつだけ持っているいいところを、藤子・Fは時々反省することだと語っている。時々だけれども、今よりよい人間になろうと努力するのが、のび太の美徳であると。
“いくえみ女子”は、女の子にとっての“野比のび太”なのだと思う。パッとしなかったり、うまくいかない部分を抱えていたり、嫉妬や憎しみに苛まれたりする、不完全でコンプレックスを抱えた女の子たちは、物語を通して、不完全なまま、それでも何かを変えようとあがく。
原作『潔く柔く』の中で、すごく好きなセリフがある。ハルタに憧れていた女の子・一恵がモノローグで語るセリフだ。
「あたしは人を救うことなんてできやしないけど」
「自分くらいなら救える」
「あたしはせめて あたしのことを救おう」
いくえみ綾は、徹底的に少女マンガの人だ。だけど、一恵のこのセリフに込められた、“フツーの人”が変わろうとする祈りのような思いは、男女を問わず、“フツーの人”の胸を打つと思うのだ。
長澤まさみが演じる映画版のカンナも、そういう“フツーさ”を持っているといいなと思っている。
(文=小林聖 <http://nelja.jp/>)
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