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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > あまちゃん、震災をどう描いた?
テレビウォッチャー・てれびのスキマの「テレビ裏ガイド」第32回

宮藤官九郎の売名行為!?『あまちゃん』は震災をどう描いたのか

 人はドラマや映画や歌や笑いがなくても生きていける――そんなわけがない。震災後の東京の描写は、作り手のそんな強い意志を感じずにはいられない。震災後わずか2年で(もちろん、震災を描くのがメインではないという注釈がつくにせよ)国民的ドラマで震災が描かれたというのは、誰もが思い浮かべるような傑作が生まれていない阪神大震災後のドラマ・映画製作状況を鑑みれば、いかに異例で偉大なことか分かる。ちなみに阪神大震災を描いたドラマ・映画の中で、最も印象的なドラマのひとつである『その街のこども』(NHK総合)の演出は、『あまちゃん』のメイン演出であり、震災が起こった週を担当した井上剛だ。「朝ドラ」で震災を扱う。それは脚本家、演出家にとって、ある意味で「売名行為」なのかもしれない。

 三陸に戻ったアキを迎えたのは、「地元」の人々の以前と変わらないとびきりの笑顔だった。そして「ふさぎこんでてもしゃあねえからな」と、家が流されたり、全壊したことなど、地震や津波の被害を笑いながら語る。かつて、「みんないろいろあって、最終的にここさ、帰ってくんの」と、自分たちの過去を笑い話にしていたように。そして夏は、アキが初めて北三陸に来た日と同じように、海女として海に潜っていた。「なして潜ってんだ?」と問うアキに、夏は以前と同じように答えた。「おもしれえがらに決まってんべ!」

 アキは、袖が浜では一番被害ひどかったという海女カフェを訪れる。海女カフェは、アキが作った、このドラマにおける「娯楽」の象徴のような場所だ。

「決めた! 海女カフェ復活させっぺ!」その廃墟と化した惨状を見て、アキは宣言する。

「正直、分がんねかった……。オラにできること、やるべきことって、なんだべってずっと考えてた。(略)頑張ろうとか、ひとつになろうとか言われても息苦しいばっかりでピンとこねえ。んでも帰ってきたら、いろいろハッキリした。とりあえず人は元気だ。みんな笑ってる。それはいいことだ。食べる物もまあある。北鉄も走ってる。それもいいこと。んだ。東京さいたら、いいことが耳さ入ってこねえんだ。オラが作った海女カフェが流された。直すとしたらオラしかいねえべ! これぞまさにオラにできることだべ!」

 アキは、壊れてしまった居場所を「逆回転」させ、再生させることを誓ったのだ。

「笑わないことが追悼ではない。だったら365日笑っちゃいけないはずだ。むしろ亡くなった人の分も笑ったり泣いたり喜んだり悲しんだりしながら生きるのが供養なんじゃないかなと思います」(宮藤官九郎ブログより)

 何が起ころうと変わらない日常がある。その日常を変わらず、「普通」に生きることは、いまや困難を伴うことだ。しかし、その尊さと大切さを『あまちゃん』は「笑おうぜ」というメッセージに乗せて伝えている。「自粛」したってしょうがない。「不謹慎」だとか「売名行為」だとか批判を浴びたって、そんなことお構いなしに立ち向かった娯楽や笑いに、僕たちは希望を感じ救われてきたのだ。

 海開きの日、震災後わずか4カ月でアキたち海女の実演が行われるということで、多くの取材陣や見物客が駆けつけた。

「アキちゃんとユイちゃんが揃う、滅多にないチャンスだもの。ただ指をくわえて見てるわけにはいかねえべ」と商魂たくましい菅原、大吉たちは「K3RKDNSP(北三陸を今度こそ何とかすっぺ)」と書かれたお揃いのシャツを見せつけながら不敵に笑う。

「よろしく頼む。だって“被・災・地”だもの」
(文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>)

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最終更新:2019/11/29 18:04
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