ラジオ批評「逆にラジオ」第27回
辛口2トップの知性と感性が絡み合う、禁じられた遊び『井筒とマツコ 禁断のラジオ』
2013/08/15 12:00
#ラジオ #マツコ・デラックス #逆にラジオ
そして話題が井筒の本分である映画に及ぶと、その表現はさらに鋭さを増し、暴力的にすらなってくる。レオナルド・ディカプリオを「ガキ顔だろ」と揶揄した流れで「釣りキチ三平みたいな顔しとる」と謎の比喩を繰り出してくるこの跳躍力。見てもいない『戦火の馬』のラストを「最後、馬刺しになって終わりかい」と決めつける力業。そして「3Dメガネが煩わしい」という話になると、目の前のコトブキツカサのメガネが伊達メガネだということを持ち出し、「レンズ入ってへんメガネかけてる奴なんかね、まず泥棒と思ったほうがええよ!」と無茶苦茶な持論へ持ち込む驚異的な展開力。ここまで来るともうすっかりわけがわからないが、でも伊達メガネ掛けてる奴は確かに信用できないような気がしたり、馬の出てくる映画のラストが「馬刺しオチ」だったら間違いなく伝説に残る一本だなと思ったりもして。とはいえ、さすがに釣りキチ三平のたとえはまったくピンと来ないのだが、それでもここまで自信を持って言い切られると、なんだかもう面白くて仕方ない。
つまりこういうのを「痛快」というのだろう。ここでは「禁断」の果てに「痛快」がある。万事につけて手加減がなく、あらゆる言語表現が振り切れた結果としての「痛快」さ。手加減のないものは常に禁ずべき対象と見なされ、実のところ世の中は手加減のおかげでスムーズに回っていたりもするのだが、本当の面白さはそんなスムーズさから外れた場所にこそある。この番組に対する不満は唯一「時間が短すぎること」だけだが、それもすでに聴き手としての禁断症状の一種かもしれない。
(文=井上智公<http://arsenal4.blog65.fc2.com/>)
最終更新:2013/08/15 12:00
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