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これは、もうひとつの『風立ちぬ』だ!

科学者の情熱が生み出した狂気の発明の数々! 兵器開発の封印された黒歴史『陸軍登戸研究所』

rkgnnbrt02.jpg約1万個が製造され、偏西風に乗せて米大陸に放球された風船爆弾。細菌兵器の搭載が予定されたが、米軍の報復を恐れて中止された。

 秘密施設ゆえに終戦時に証拠品はすべて処分されてしまい、封印された黒歴史となっていた登戸研究所だが、元所員である伴繁雄氏(1906〜1993)は秘密研究の内容を後世に伝えようと尽力した。コンクリート製の研究棟が与えられた伴氏が専門としたのは毒物や爆薬の研究だった。毒物の研究は動物実験だけでは成果が分からないため、中国に渡って死刑囚や捕虜への人体実験にも関与。「最初は嫌だったが、やがて趣味になった」と証言している。戦時下だったとはいえ、研究者の業を感じさせるゾッとする言葉だ。晩年、伴氏は贖罪の意識から『陸軍登戸研究所の真実』(芙蓉書房出版)を執筆し、原稿を書き終えた直後に「晴れ晴れとした気持ちだ」という言葉を残して他界している。

 宮崎監督の『風立ちぬ』が二郎と菜穂子の哀しいラブストーリーでもあったように、映画『陸軍登戸研究所』の後半は伴氏とその後妻となった和子さんとの夫婦のドラマとしても見ることができる。1972年にふたりはお見合い結婚するが、伴氏の申し出は「僕は研究所の本を書かなくてはいけないので手伝ってほしい」というものだった。和子さんは結婚してから伴氏の過去の研究内容を知って驚くが、原稿の整理や清書を手伝い、さらに伴氏が亡くなってからも7年越しで校正や資料との照合などの作業に努めた。伴氏と和子さんは甘い恋愛感情で結ばれた夫婦ではなく、戦争の悲惨さ、醜悪さを後世に伝えなくてはならないという義務感、使命感から生活を共にした同志だった。伴氏の最期を看取り、伴氏の遺稿『陸軍登戸研究所の真実』が2001年に出版されるのを見届けた後、和子さんは伸び伸びとひとり暮らしを始める。心の中に葛藤を抱え続けた伴氏との結婚生活は、和子さんにとっても過酷な日々だった。生前は口数が少なかった伴氏だが、亡くなってから「すまなかったな」と和子さんの枕元まで詫びを伝えに現われたそうだ。

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