大人の死角から真っすぐに繰り出される、子どもたちのスリリングな質問力『夏休み子ども科学電話相談』
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ほかにも「猿は熱中症にならないのか?」という心優しい問いかけから、「家にあるもので雲を作りたいが、どうすれば作れるのか」という未来の科学者の質問、そして「むかし人間は猿だったと聞いたが、なぜ今いる動物の猿は人間にならなかったのか?」という『猿の惑星』さながらの壮大なクエスチョンに至るまで、大人の価値観に揺さぶりをかけるような鋭い質問が次々と繰り出されてゆく。その一方で、子どもらしい部分も随所に炸裂していて、そんなユルさも番組の大きな魅力になっている。
聴いていてまずドキッとするのは、突如としてすべてに興味を失う瞬間が子どもたちに訪れることで、解答者の先生の口から知らない専門用語が出てくると、彼らは最初の元気な挨拶がまるで別人であったかのように、あからさまにトーンダウンする。そうなると手練の先生方でも状況を立て直すのは難しく、いくら噛み砕いて説明しても、帰ってくるのはとても自分から質問したとは思えない生返事の連続で、しかも話が長くなると子どもがスタミナ切れを起こすという地獄の悪循環が待っている。
もちろん、会話が噛み合わないなんてのは日常茶飯事で、先生が子どもに質問を返すと子どもが突如黙り込んで放送事故寸前になるというのもすっかり定番の事態だ。しかしこれは考えてみれば当たり前のことで、知識レベルも年齢もかけ離れている者同士の間に通用する共通言語を見出すのはひどく難しい。先生方には「専門用語を使わずに専門領域を解説する」という難問が常に課されており、結局のところ最後は理屈ではなく、感覚的に通じ合えるかどうかにかかっている部分もある。考えてみればむしろ、専門用語や共通理解を前提とした普段の我々の対話のほうが例外であって、対話とは本来、共通項という甘えの存在しない場所から立ち上げていくべきものなのかもしれない。
しかし、そういう子どもたちの素直でビビッドな反応は聴いていて本当に楽しく、ラジオという映像のないメディアだと余計に声のトーンや呼吸が如実に伝わるから、ここには普段の大人同士の対話ではあり得ない妙なスリルがあって、一度聴くとどうにも癖になる。しばらく聴いていると、「この子いま先生の質問に焦って『知ってる』って答えたけど、本当は知らないな」なんて知ったかぶりも声のトーンで見抜けるようになってきて、まるでサッカーの試合でも見るように、局面ごとの変化をいちいち楽しめるようになってくる。もちろんそんな楽しみ方は邪道なのかもしれないが、子どもが本来持つ素直さがもたらす想定外の反応は、大人が提示する計画的な「ソリューション」とはまったく別の自由な角度を、いつも我々に突きつけてくる。
(文=井上智公<http://arsenal4.blog65.fc2.com/>)
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