ワタミ“ブラック”批判を洞察する…「社会貢献もどき」に走る人たちが学ぶべきこと
#ブラック企業 #ワタミ #ブラック
サイゾーのニュースサイト「Business Journal」の中から、ユーザーの反響の大きかった記事をピックアップしてお届けします。
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ワタミ“ブラック”批判を洞察する…「社会貢献もどき」に走る人たちが学ぶべきこと – Business Journal(7月12日)
今回は「ブラック・ユーモア」を一つ。
「ソーシャル・ビジネス」の拡充を提唱する渡邉美樹氏が創業したワタミのグループ企業であるワタミフードサービスが、去る6月27日、「第2回ブラック企業大賞2013」で1位を受賞した。選ばれた理由は次のサイトに記載の通り。
http://blackcorpaward.blogspot.jp/
それにしても、渡邉氏が参議院選挙立候補を前にワタミの経営から一切手を引いたのは意味深である。
●ソーシャル・ビジネスに自己実現を夢見る若者たち
まさに、この笑えぬ笑い話は、現代の世相を反映している。
社会貢献を最大目的とする「ソーシャル・ビジネス」は、近年、若者たちに大変注目されている。資質があるかないかは別として、若者たちは「社会貢献」という言葉や概念が非常に好きである。「経済成長」を実感したことがない彼らは、「人生の最大目的は金儲けではなく社会に貢献することだ」「社会に良いことをしている人として認めてもらいたい」という思いが強い。前者が社会心理学者のアブラハム・マズローがいう自己実現欲求であり、後者が承認欲求に当たる。
そもそも、会社をつくるだけでなく、着実に成長させた、起業家ならぬ「企業家」と呼ばれる人たちは、事業を成功させることで自己実現したのだが、「ソーシャル・ビジネス」という言葉が好きな人は、社会に貢献するという行動自体で自己実現を感じているようだ。
このようなニーズをとらえてか、東京には社会起業大学なるものまでが存在する。「理事長」「学長」を名乗る人が表立って活動し、ホームページなどでは「社会起業家を育成するビジネススクール」を標榜している。
大学関係者だけでなく、社会人対象の大学院に少しでも関心のある人であれば、「ビジネススクール」と聞けば、「経営(学)大学院」を運営している「大学院大学」だと思うだろう。近年、大学院設立の規制が緩和され、株式会社型の大学院も誕生した。社会起業大学は、文部科学省が認可した大学や専門学校でないどころか、株式会社大学院でもない。実質的には、人材紹介ベンチャーのリソウル株式会社が運営しているセミナー事業である。
したがって、社会起業大学では「大学卒」や「大学院卒」の学位は取得できない。それにも関わらず、入学金や授業料は私立大学並みである。「大学」という名前がついているので、勘違いして入学してしまった人がいるのではないかと心配になるが、中を覗いてみると、本当に社会に役立ちたいという純粋な心を持つ若者たちがまじめに勉強している。
同大学は、2010年から「ソーシャルビジネスグランプリ」なる大々的なビジネスプラン発表イベントを東京都内の会場で年2回実施。今夏も「ソーシャルビジネスグランプリ2013夏」が8月4日に開催される。創業3年以上、同3年未満、社内起業などを対象に3部門の賞を決定し、審査員と一般観覧者が各部門の大賞を決定するイベントである。エン・ジャパン株式会社が特別協賛しており、最大1000万円の出資交渉権を提供している。
アカデミズムの世界では、「大学を名乗りソーシャル・ビジネス・ブームに便乗し、著名人を担ぎ出して、知名度を高めようとしている胡散臭い存在」と見ている向きも少なくない。「文部科学省も気にしている」といった声も聞く。筆者は同大学の学長に、このような見方があると指摘したことがあったが、まったく気にしていないようであり、「大学」という名称を使い続ける考えだ。
ただ、「著名人を担ぎ出している」と思われる時、気をつけなくてはならないのは、その著名人がどのようなブランドかという点である。
なんと、同大学は渡邉氏を招き「これからのソーシャル・ビジネスを語ろう!渡邉美樹 夢寺子屋 in社会起業大学」なる講演を依頼した。それだけではなく、ビジネスプランを提示した起業家の卵へのアドバイス役も頼んでいる。その様子が、夜の報道番組『ワールドビジネスサテライト』(テレビ東京系)で放送された。渡邉氏の指導を受けていた受講生は、教祖様の声をいただいたかの如く真剣そのものであった。渡邉氏の隣には社会起業大学の学長が座っていた。
この番組が放送された頃は、渡邉氏がテレビにもよく顔を出し「ベンチャーの旗手」「一代で外食チェーンを築き上げたやり手」というイメージが持続していた頃である。同大学もメディアでよく取り上げられる渡邉氏の、このイメージを活用しようとしていたのではないだろうか。
しかし、「事業を通して社会に貢献しよう」と訴えていた教祖様が、今や「ブラック企業」の権化として吊るし上げられているのだから皮肉な話だ。
●素顔の渡邉氏は
筆者は渡邉氏にインタビューしたことがある。渡邉氏をモデルにした小説『青年社長』(角川文庫)を書いた作家・高杉良氏からも長時間、渡邉氏について話を聞いた。実は、この小説を書くに当たり、高杉氏は渡邉氏から日記を入手した。それだけに、渡邊氏の心の奥深くまで入り込めたのだろう。高杉氏の話を聞いた後に渡邉氏に会った。インタビューといっても、渡邉氏はほぼ一方的に話していた。その姿に触れ、「並外れた頑張り屋」であり、企業家に必須とされる「アニマル・スピリット」が溢れる人物であると痛感したものだ。
「外食チェーンステーキハンバーグ&サラダバー けん」などを運営するエムグラントフードサービス社長、井戸実氏 がツイッターで、ワタミへの“ブラック批判”に怒りをぶちまけ、話題になっている。 アニマル・スピリットを体現した人ゆえのアニマル・スピリット応援歌を送ったのだろう。同じ外食チェーンの大先輩であるだけに、筆が走ったのかもしれない。
筆者は、これまで対話してきた多くの著名な創業者から、同じような「溢れんばかりの情熱」を感じた。そのような情熱は「自分の理解」と「他者(従業員など)の理解」が一致したとき良い効果を発揮する。しかし、「私がやってこられたから、君にもできるはずだ」と考えたとき、実力、価値観の違う人は拒絶反応を起こす。本当の名経営者は、この点をよく理解し、行動していた。
筆者も、大学生を教えていると「この国はどうなっていくのだろうか」と心配になることが少なくない。今こそ、日本人は金太郎さんではないが「優しくて力持ち」にならなくてはならない。優しくはなってきているが、力に欠けているような気がしてならない。現在の渡邉氏には数々の問題点はあるが、氏の強調している「必死に働け論」が理解できないわけではない。そう言うと、ブラック企業を擁護しているように聞こえるかもしれないが、決してそうではない。より深く考えたい人、時間のある人には、以下の論を読んでもらいたい。
●これからの日本に求められる人材と教育
2010年、日本はGDP(国内総生産)で中国に抜かれ世界3位になったが、いよいよ「本当に幸せな国」を目指す時代を迎えたのではないだろうか。それを実現できる企業こそ、真に価値ある組織といえよう。
「武士は食わねど高楊枝」の精神だけでは、日本、いや、世界を動かすような「愛ある経営」の実践は不可能だ。愛の実践には、しっかりとした志、計画性、そして行動力が求められる。その意味で、「社会貢献」という偽善とも思える甘い囁きで、若者を空虚な夢物語に巻き込もうとする現代的風潮は、罪深い行為といえよう。
ホスピタリティ教育の観点からも、大学(中学校・高校)では、社会貢献は絵空事ではないことを学生たちに知らしめるべきである。自らの食いぶちを見つけることもせず、「ボランティアもどき」に走る人間を大量生産する「夢物語教育」よりも、現実の厳しさを教える実学教育こそ、ホスピタリティ実践の基礎を築くのではないだろうか。これこそ「愛の鞭」と呼べよう。
「愛」という言葉からは、静的なニュアンスを感じるかもしれないが、前述の事例からも明らかなように、愛をベースにしたホスピタリティの実践には動的な「アニマル・スピリット」が必須である。だからこそ、今の日本人には「アベノミクスなどに頼らない」というほどの心意気が求められる。
戦後、焦土と化した日本から、ソニーや本田技研工業(ホンダ)といった「焼け跡派ベンチャー」が急成長しグローバル企業になった現実は、アメリカの経営学者の目には「経営史の奇跡」と映った。それがきっかけとなり、「日本的経営」の研究が始まる。米経営学者ジェイムズ・アベグレンはその成果をまとめ『日本の経営』(日本経済新聞社)として上梓した。
東日本大震災で見せた日本人の「絆」は外国の人びとに感動を与えた。それは、日本人として嬉しいことだが、お褒めの言葉に甘んじていていいのだろうか。「第二の敗戦」と言われた東日本大震災。「これで日本人も変わる」と期待した識者も少なくなかった。確かに、エネルギー問題を深刻に再考するなど、変わった部分もあるが、「創造」の意識が高まり、行動に移したとはいえない。相変わらず、諸先輩がつくった遺産にぶら下がり食っていこうとする意識に、大きな変化は見られない。そのシステムが錆びつき、「食いぶち」が少なくなってきているという厳しい現実を前にしても、誰かがなんとかしてくれると思っている節がある。今こそ、「焼け跡派ベンチャー」だけでなく、戦前に丁稚奉公から身を起こした大企業の創業者に学ぶべきではないか。
「草食系」という言葉がすっかり定着してしまったが、現在、求められているのは、決して「言われたことだけを的確にこなせるだけの人」ではない。新事業を創造できる「創職系」である。それは単に「起業家」だけを意味しているのではない。サラリーマンであっても社内に新事業を起こせる「社内企業家」、それをきっかけにグループ企業の社長に転じる人、小商いからスタートする「商売人」、さらには、就職活動に取り組もうとしている(取り組んでいる)大学生でも、「入社したら、私はこんな事業を始めたい」と自ら編み出した斬新なビジネスプランを、面接時に堂々とプレゼンできる人などを指している。
「草食系」をもじった「創職系」は駄洒落のようだが、是非とも、この言葉と概念を世の中に定着させたいものだ。筆者が考案したこの言葉が定着したときこそ、「日本人は変わった」と外国から再び注目されるようになるのではないか。ただし、利潤・時価総額の最大化のみを狙った人員削減、過度(無駄)な労働強化、部下を教育する余裕すら失う成果主義、低賃金雇用を狙った植民地型グローバル経営などに走ってはならない。一人ひとりの価値観、信念、自我を尊重しない環境では、創造性、相互信頼、共愛の関係は生まれない。「愛」を忘れた「創職系」が台頭すれば、再び「エコノミック・アニマル」の再来と揶揄されることだろう。日本企業が新事業を創造し「愛」を最大目的とする経営を展開すれば、「新日本的経営」として、外国から再び注目されるだけでなく、既存の「日本的経営」とは違った視点から尊敬の眼差しで見られるようになるだろう。
かつての大阪商人を表す言葉として「浪速のど根性」が使われた。非常に古典的な概念だが、今の日本人には何よりも「根性」が必要だ。実は「根性」にも愛が求められる。大学生と接している私は、頼りない若者を見ていると渡邉氏の言わんとするところが分からないわけではない。だが、単純な「根性論」が通じないという世論・現実も計算に入れ、発言・行動しないと、バッシングの嵐が吹き荒れる。
「ソーシャル・ビジネス」と「ブラック企業」という相反する概念が、同時に流行する今の世の中で、より深く考えれば「ベストな解」が求められそうだ。私は現在、それを研究しているところだ。
(文=長田貴仁/経営学者・ジャーナリスト)
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