“毒殺未遂事件”を培養して生み出した問題作! システムを観察せよ『タリウム少女の毒殺日記』
#映画 #パンドラ映画館
土屋 「実際の事件を起こした少女のブログを読んで、『狼がいるからトナカイは強くなれる』という詩に強く惹かれたんです。イジメっ子がいるからシステムが成り立つし、そのシステムを私はちゃんと客観視しています、ということですよね。もしかしたら本人は無理矢理そう思い込もうとしていただけなのかもしれない。でも、ボクが映画の中に登場させた“タリウム少女”は完全にシステムとして理解し、システムだから仕方ない、その仕方なさにどうこう言っても始まらない。じゃあ、そのシステム自体を別のものに組み替えられないかと考えるんです。事件を起こした少女の理系的、科学的な独自の視点は非常に興味深いし、資本主義が高度に発達した現代社会をひとつのシステムとして冷静に見ている視点はボク自身にもある。ボクより若い人たちはもっと共感を感じるんじゃないですか。そんなタリウム少女の視点から、今の世の中を見てみたのが、この作品なんです」
仰向けにされたカエルはお腹を割かれ、母親が可愛がっていた金魚はホルマリン液の中で息絶える。タリウム少女はこう呟く。「神様なんか、いないよ。プログラしか、ないんだよ」。“アニマルライツ”をめぐって、海外の映画祭でも問題視されたこれらのシーンについて聞いてみた。
土屋 「動物愛護団体の影響力が強い米国では、『タリウム少女』は上映できないかもしれませんね。でも、そういった団体からの圧力で作品が上映できなかったり、問題視されたシーンが削除を求められることは怖いことだと思います。(動物実験など)現実に行われていることを存在しないことにしてしまう。問題そのものを忘れさせてしまい、話題に上がる機会さえ奪ってしまう。ボクは逆にもっと問題点は出していったほうがいいと思うんです。その点、映画の中のタリウム少女はちゃんと現実を直視しようとする。そして、飼っていた金魚をホルマリン漬けにすることとスーパーで買ってきたサンマを焼いて食べることはどう違うのかと大人に問い掛けてくるわけです」
あたかもマウス実験のように一緒に暮らす母親にタリウムを投与し、人間の持つ生命力の強さを凝視する少女だが、様々な人たちの多様な価値観に触れていく中で、さらに自分が暮らす社会と自分自身を徹底的に観察していく。最強の働きアリが女王アリへと目覚めていくように、自分自身の中に眠る未知のプログラムを覚醒させたいと強く願うようになっていく。まだ目には見えない段階だが、彼女の中で生命の進化の第一歩が始まろうとする。
過激なタリウム少女を演じたのは、日テレジェニック候補生にも選ばれた新進グラビアアイドルの倉持由香。土屋監督からはSNSを通じて映画主演のオファーを受けたそうだ。本作の題材となった事件もネットニュースで知り、問題のブログも当時読んでいたという。
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