FUKUSHIMAから『あまちゃん』へ 大友良英が生み出した「希望の音楽」
#リアルサウンド
そしてそうした大友の発言の中でもっとも印象的だったのは、『あまちゃん』のオープニング・テーマを都議選の候補者が選挙カーから流したことに強い抗議の意を表したことだった(大友良英のJAMJAM日記「あまちゃんの音楽を選挙公報に使っている政治家の方へ」)。選挙カーでの既存楽曲の使用についての著作権的な解釈は見解が分かれるようだが、大友の反発はそうした権利関係のクレームではなく、公的な空間に無自覚・無神経に音楽が垂れ流されることへの嫌悪であり、すべての人びとに共有されるべき(そういう目的で作った)音楽を、特定の政治的立場に利用されることへの拒絶だろう。その考え方は、福島の原発問題を反原発の立場から声高に糾弾するよりも、被災地から文化を発信していくことでポジティブな福島の未来図を描き、そのイメージを高めていきたいとする大友や遠藤ミチロウらによる「プロジェクトFUKUSHIMA」のコンセプトにも通じるものだ(参照:「文化の役目について:震災と福島の人災を受けて」)
大友良英オーケストラFUKUSHIMA! 2012 – FINALE
もちろんそれは『あまちゃん』が、3.11の震災以降をも描く(予定の)作品であるからだ。前出のリンクで大友は「今この過酷な現実をどう解釈し、どう未来を切り開いてくか。文化の役目はそこにあると思ってます」と語っているが、大友にとって『あまちゃん』の音楽には、そういう思いも込められているはずだ。
一方で<『あまちゃん』が岩手県、『八重の桜』が会津と、原発震災の中心地を微妙に外して東北への復興を支援するNHKへの懐疑><アイドルが要となった明るい地域一丸が、今も続く原発災害の破局の広がりを見えなくしてしまう『絶望』だって、ありうるのでは>という声もある(東京新聞『大波小波』、7月22日付夕刊)。だが、ドラマの中で震災が描かれるのはこれからである。どんな物語が語られ、そこで大友の音楽がどのように鳴らされるのか。アキやユイはそこでどんな歌を歌うのか。楽しみに待ちたい。
■小野島大
音楽評論家。 時々DJ。『ミュージック・マガジン』『ロッキング・オン』『ロッキング・オン・ジャパン』『MUSICA』『ナタリー』『週刊SPA』などに執筆。著編書に『ロックがわかる超名盤100』(音楽之友社)、『NEWSWAVEと、その時代』(エイベックス)、『フィッシュマンズ全書』(小学館)『音楽配信はどこに向かう?』(インプレス)など。facebook/Twitter
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