教室にはびこる見えない制度 教師も“活用”するスクールカーストがもたらす閉塞感
#本
昨年公開され、大ヒットした映画『桐島、部活やめるってよ』は、高校2年生たちの放課後を追った群像劇である。イケメンの帰宅部、部活に熱心に取り組むバレー部やバドミントン部、ほとんど見向きもされないサエない映画部員や吹奏楽部員、など、クラスの中にある微妙な地位の格差が絶妙に折り込まれた良作だ。
『教室内カースト』(光文社新書)は、『桐島~』に描かれているような微妙な教室内での格差・スクールカーストに対して、東京大学大学院在学中の社会学者・鈴木翔が詳細な分析を加えた一冊だ。
どの“カースト”で毎日を送っていたかは別として、教室内に歴然と存在する「格差」を知らなかった者はいないだろう。イケてるカーストにいるか、サエないカーストに所属しているかで、学校生活は大きく変わる。『桐島~』に描かれていたように、上位にいれば放課後に教室にたむろして大声でしゃべっていることができるが、下位にいれば映画部員のようにぶつかられても一顧だにされない。すべては所属するカーストが決定付けるといっても過言ではない。
本書に収録されている大学生たちのインタビューは、スクールカーストの現実を知る上で、とても興味深い。
「上にいたら楽しいね(略)けっこう自分の言いたいことは通るし、やっぱりそれは楽しいよね」という「上」の風景に対し、「『下』には、騒ぐとか、楽しくする権利が与えられていないので、『下』のくせに廊下で笑ったりしてはいけないんです」と証言される「下」の生活。さらには「『上』の方に文句を言ってもいい権利が与えられていない」「『あいつ見てるだけでむかつくんだよね』とか、存在自体を否定されてしまったりも、わりによくあることなので……」と、スクールカーストはいじめにつながる要素をはらんでいる。
また、スクールカーストは生徒たちだけの問題ではないことを、本書では強調する。
『桐島~』では、授業中の様子や教師などは描かれていなかったが、本書に収録された教師たちへのインタビューからは、彼らもまたスクールカーストの存在を意識し、積極的にこの暗黙の制度を利用している実態が浮かび上がってくる。
「立場(が)強いやつ(を)使って、いい方向に持っていくようなときもある」「(生徒の)勢力関係の把握を外すと、もう学級経営(が)成り立たなくなる」と学級経営を円滑に進めるために、スクールカーストを活用しているという。生徒たちにとっては、権威の失墜した教師よりも、スクールカーストの方がはるかに影響力が大きいのだろう。さらに「いじめを助長するのではないか」という指摘があるにもかかわらず「立場の強弱っていうのをわかっていくことで、世の中にはこういう人がいるっていうのもわかっていかなきゃかなあ」と、全面的にその存在を肯定する教師も存在する。
大人になった今、あらためて思い返してみると、スクールカーストほどくだらないものはない。誰が“上”か、誰が“下”か、そんな実態のない空気の読み合いが、教室を閉塞感の漂う場所にしていたのではなかったか。だが、当事者にとっては、けっして「くだらない」と切り捨てることができるものではない。教室内においてどのように振る舞うかは、単なる比喩ではなく「死活問題」だからだ(教室に居場所がなくなり、不登校という“死”を迎えるクラスメイトは少なくない)。
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