トップページへ
日刊サイゾー|エンタメ・お笑い・ドラマ・社会の最新ニュース
  • facebook
  • x
  • feed
日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > “文化人”片岡鶴太郎の芸人魂
テレビウォッチャー・てれびのスキマの「テレビ裏ガイド」第26回

「どうした!?片岡鶴太郎」『芸人報道』で見せた、“鶴ちゃん”の芸人魂

tsurutaro.jpg片岡鶴太郎オフィシャルブログより

「テレビはつまらない」という妄信を一刀両断! テレビウォッチャー・てれびのスキマが、今見るべき本当に面白いテレビ番組をご紹介。

 『アメトーーク!』(テレビ朝日系)で、文化人的活動を広げていた品川庄司の品川をターゲットにした企画「どうした!? 品川」が放送されたのは記憶に新しいが、「どうした!?」というフレーズが最も似合うのは、片岡鶴太郎ではないか。いまや完全に俳優や芸術家としての顔のほうが一般的になってしまったが、彼は芸歴37年を数えるお笑い芸人である。いわば鶴太郎は、“「どうした!?」芸人”のリビング・レジェンドなのだ。

 24歳の時にものまね芸人としてテレビデビューすると、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)などにレギュラー出演を果たし、大ブレイク。テレビで見ない日はないほどの活躍で、最盛期にはレギュラー番組の数は13本にも上った。

 「マッチでーーす!」の近藤真彦、「おばちゃまはねぇ……」の小森のおばちゃま(小森和子)、「ナイスですね~」の村西とおるなどのものまね芸はもとより、『ひょうきん族』のコントでハプニング的に誕生した「熱々おでん」をはじめとする芸は「元祖リアクション芸」ともいわれている。1986年には「頭の思考回路が切れた、あるいは切れている状態を表現する擬音語」として、鶴太郎による造語「プッツン」が流行語大賞大衆賞も受賞した。

 しかし、32歳の頃に始めたボクシングにのめり込み、翌年プロライセンスを取得。それまで小太りでチャーミングだった身体は見違えるようにシャープで引き締まった身体に変貌を遂げた。さらに、同時期に俳優業にも本格的にチャレンジし始める。映画『異人たちとの夏』では日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞。NHK大河ドラマ『太平記』での好演で性格俳優としての評価を決定付け、86年から92年まで続いた自身の冠番組『鶴ちゃんのプッツン5』(日本テレビ系)の最終回では「バラエティでのレギュラー司会は最後になるかと思います」と宣言し、活動の主軸を俳優業にシフトした。40代になると、絵画や書道にも打ち込み、“芸術家”としても高い評価を受けるに至ったのだ。

 果たして、鶴太郎は芸人の魂を忘れてしまったのか?

 それを検証したのが、6月3日に放送された『芸人報道』(日本テレビ系)だった。もともとは「お笑い芸人が記者に扮し、徹底調査したテレビ業界のさまざまなニュース、芸人たちの生態を報道番組風に紹介する」という番組だったが、最近では次世代を担う若手女芸人のオーディション企画や「すぐ言う芸王座決定戦」「女性迎合ロケツアー」など、さまざまな企画も放送している。

 この日は鶴太郎や笑福亭笑瓶をゲストに迎え、ダチョウ倶楽部や松村邦洋らの証言をもとに片岡鶴太郎伝説を検証する、まさに『芸人報道』と呼ぶべき内容だった。

 彼らの証言によれば、鶴太郎はモテモテだったという。当時の鶴太郎といえば、「抱かれたくない男」ナンバー1に選ばれたこともあったほど。しかし、実際には女優やアイドルなどを含め、同時に8人の女性と付き合っていたというのだから驚きだ。また、いまやリアクション芸の代名詞的存在となったダチョウ倶楽部が鶴太郎から受け継いだのは、リアクション芸だけではなかった。それは「お脱ぎの芸」だ。

12
ページ上部へ戻る

配給映画