来日16年、全盲のスーダン人が“見た”日本とは──『わが盲想』(前編)
――日本語で入力していることも驚きですが、そもそも日本語はどうやって学んだんですか? 特に表意文字の「漢字」を理解するには、視覚が不可欠だと思うんですが。
アブ 粘土に書いた漢字を手で触って覚えました。福井(県立盲学校)にいるとき、日本語をボランティアで教えてくれた高瀬先生という人が考えてくれた方法です。僕にとってわかりやすいように、教え方を工夫してくれる先生だったんです。といっても、すべての漢字を粘土で学んだわけではなくて、基本的な偏と旁(つくり)を理解したり、簡単な漢字や頻繁に使われる漢字を覚えるのに使いました。漢字の仕組みさえわかれば理解できるし、覚えてしまえば口頭で「この漢字は○へんに○○です」と言われた時にわかるようになるんですよ。
――音だけだと、誤解することもあるんじゃないですか? 『わが盲想』というタイトルを聞いたとき、「盲想」ではなく「妄想(=病的な誤った判断ないし観念)」だと勘違いして、日本に対する誤解を書き連ねているのかと思っていました。すごくまともなことを書いているのに、なんで『わが妄想』なんだろうと。そんな感じで、音だけだと日本に対する誤解とか勘違いも多かったと思うのですが?
アブ 勘違いは結構しますよ。日本に来てから勘違いだらけです。日本人は感情を表に出さないので、わかるまでに時間がかかるんですよ。コンビニの女性店員に「いらっしゃいませ」と甘く甲高い声で言われると「もしかしたら僕に気があるんじゃないの?」と調子に乗ったり(笑)。(甘く甲高い声での挨拶は)みんなに対してやっていることだと思わなかったんです。相手をいい気分にさせるというのは、日本の基本的なスタンスでしょ。だから、そこで勘違いすることはいっぱいあるわけで。しかも僕の場合はその場で勘違いだとわからなくて、「あぁ……あのとき……」みたいな感じで、あとから気づくことが多いんですよ。
■出版までの道のり
――『わが盲想』を出版するに当たって、ノンフィクション作家の高野秀行さんがプロデューサーとしての役割を果たしたとか。
アブ 高野さんとは十年来のお付き合いですね。
――高野さんとアブディンさんは、性格が似ていますよね?
アブ 僕ですか!? まったく似ていないですよ。
――何かトラブルが起きたときに「とりあえず考えるのをやめて寝る」と書いてあって、そのあたりは高野さんと一緒なのかと。
アブ そのへんは同類かもしれないけど、あとは本人も願い下げだと思いますよ(笑)。ただ、高野さんが出版のために力を尽くしてくれたのは本当です。高野さんいわく「使えない人物を、いかに使えるものにするか」。私は自分がそういうカテゴリーに入れられて、頭に来ていますけど(笑)。
――高野さんにとっては、なんとしても本を書かせたい魅力的な人物なんですね。ネタの宝庫だと思っている。
アブ ほかにも恩人がいるんです。高野さんが紹介してくれた堀内倫子さんという編集者の方で、「原稿を書いたらどうですか」と言ってくれて、試しに一回書いてみたんです。彼女は「これはすごい本になる」と評価してくれて、僕もうれしいから書き続けていたんですけど……突然亡くなってしまったんですね。
ショックというか、僕もすっかりやる気をなくしてしまったんです。高野さんからは「まだやろう。本を書いて小学館ノンフィクション大賞を獲って賞金を山分けしよう」と言われて、何回も打ち合わせしたんだけど、書きたいという気分にならなかった。だって僕はただの大学院生で、何も書きたいことはない。結論として、話はダメになったんです。
ところが、その数カ月後にポプラ社の編集者の斉藤さんから「高野さんの本に頻繁に出てくる怪しい外人を紹介してもらえませんか」と連絡があったんです。堀内さんと一緒にやっていたときに書いたショートネタを送ったらすぐ食いついてくれて、この本を出すことにつながったんですよ。
(中編に続く/取材・文=丸山佑介/犯罪ジャーナリスト<http://ameblo.jp/maruyamagonzaresu/>)
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