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大物アイドル活躍の赤裸々な「舞台裏」

【追悼/再掲】相澤秀禎×中森明夫 淳子、聖子、ユッコ、ノリピー……育ての親が語る「アイドルたちの40年」

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●「サイゾー」2007年6月号より再掲

 片や、桜田淳子、松田聖子、酒井法子、安達祐実、ベッキーなど、常に時代の要請に応じた女性アイドルを輩出してきた、大手芸能プロ「サンミュージック」会長・相澤秀禎氏(来年、同社創立40周年)。片や、「おたく」「チャイドル」などの言葉を生み出してきた“サブカル界の黒幕”中森明夫氏(今年、アイドル評論活動25周年)。中森氏の軽妙な語り口につられて、相澤氏が、大物アイドルたちの活躍の「舞台裏」を、赤裸々に語り出した──。

 「日本最大のアイドル」(中森)である松田聖子を生み出したサンミュージック。その聖子は89年に突然独立を表明、アメリカ進出を目指す聖子と、同プロの方針の違いが原因との報道もされた。その後、聖子はさまざまなスキャンダルやトラブルに見舞われることになるが、今年2月、“聖子がサンミュージックに復帰”と報じられた。大手事務所を離れたタレントが古巣に帰ることは、芸能界では珍しいことである──。中森氏は、まずそこから斬り込んだ。

中森(以下、中) 聖子さんが、18年ぶりに復帰されるそうですね。

相澤(以下、相) はい。音楽面での「業務提携」という形です。

 昨年末、聖子さんが会長をディナーショーにご招待されたことがきっかけだそうですが、どういうご気分だったんですか?

 これまで、聖子に対しては「申し訳ない」という気持ちがあったんです。なぜかっていうと、彼女が事務所を離れる時、本人から何度も電話が入ったんですよ。そこで僕が出て話を聞けば円満解決になってたのに、突っぱねちゃった。だから、聖子がひとりになってからの、いろんな噂を聞くとね、悪いことしたなと。

 独立後は、ずっと音信なかったんですか?

 その後、一度だけ成城(相澤氏の自宅がある)で会ったことはあるんですけど、よそよそしく挨拶したくらいで。だもんだから、心の中では、いつも聖子に申し訳ないという気持ちだった。だからディナーショーに招待されたときは、「これは行ってあげなくちゃ」って。

 聖子さんがステージ上で突然「お世話になった会長さんが来てくださいました」と、挨拶をしたそうですね。

 私の顔を見て込み上げるものがあったんでしょうね。彼女、ステージで涙。終わってから楽屋に行ったら、聖子はまた泣いて。僕も「ひとりにしてごめんね」と。それで業務提携という形で、音楽の制作やプロモーションで力になろうという話になった。

 独立に際しては、子どもを置いて渡米することに意見の相違があったといわれていますが。

 僕は、彼女の希望を叶えてあげたいという気持ちはあったんですよ。ただ、一緒についていたレコード会社のアメリカ担当プロデューサーが、うちを外しにかかったんですね。そういう事情があるから、余計ね、かわいそうでね。

 いろいろバッシングはありましたが、日本最大のアイドルは松田聖子だと思うんですよ。彼女は、芸能界のみならず、本当に時代を変えましたからね。

 こんなこと言うと彼女に悪いですけど、初めて会ったときは「田舎のお嬢さんだな」と思った。ただし、声はとっても良かった。

 70年代、アイドルがちょっと沈んでいたとき、80年に聖子さんがあの衣装、髪形で出てきて、パッと状況が変わった。街中が聖子ちゃんカットになって……。あれは、狙ってたんですか?

 僕というより、レコード会社、カメラマンや雑誌社の人が盛り上げてくれて、みんなで松田聖子をつくってくれたんですよ。

 以前、会長が「聖子はO脚だからこそ、ミニスカートにした」とおっしゃっていたのが印象的でした。それを隠そうとロングスカートにしていたら、松田聖子になってない、普通は欠点であるところが、魅力になっている人がアイドルだと。そこが会長独自の感覚ですよね。数々のスターを生んでこられた秘訣だと思いますよ。

■森田健作から始まった、40年のアイドル街道

 来年は、サンミュージック創立40周年だそうですね。最初のタレントは、森田健作さんですよね。

 そうですね。考えてみれば、よくここまでやれたな。その前、僕は龍美プロで、西郷助封Fのマネージャーをしてました。その頃の西郷は、今のキムタクさんくらい人気があった。コンサートで入れなかった人が押し寄せて、警官2人が圧死するという惨事を生むほどにね。

 圧死!?

 そんな中、どうしても新人をやりたくて探していたら、「あるダンサーの弟にいいのがいる」と。それが森田健作。パッと見て、「こりゃいいや」と、サンミュージックを立ち上げました。

 最初の女性アイドルは桜田淳子さんですね。桜田さんは『スター誕生!』(1971~83年に放送されたオーディション番組)で合格して、複数の芸能プロが獲得しようとしたんですよね。

 十数社ですね。番組後、交渉時間は各社5~10分しかなくて、うちはそのとき無名の会社で、所属タレントは3人だけ。仕方ないんで、「一生懸命頑張りますから、お願いします」って、タレント3人の名前を紙に書いて置いてきた。そしたら、彼女が森田のファンで、「森田さんのいる会社に行きたい」って。

 桜田さんが、92年の統一協会の合同結婚式をきっかけに、芸能界を離れられたことについてはどうお思いですか?

 もし、あの子が芸能活動を続けていたら、今ごろすごい舞台女優になってますよ。でも、彼女は宗教を信じきってましたから、どうすることもできませんでした。

 会長は、ご自宅に女性タレントを下宿させることで有名ですが。

 淳子から酒井法子ぐらいまでは、そうしてました。高校を卒業するまでは、下宿をさせる。地方の親御さんは、そのほうが安心するんですよ。多いときは4~5人いたな。

 会長にとって、アイドルとはどういうものなんですか?

 それは、中森さんのほうが詳しいんじゃないですか?(笑)僕は、自分の感覚だけでやってきたから。早見優のときは、プロフィールの写真を見ただけで決めたし。

 鮮烈でしたよね、ハワイ育ちで、それまでいなかったタイプ。

 僕は結構欧米的な感覚なんですよ。横須賀で育って、カントリーバンドもやってたから。

 最近は、ベッキーも人気だし。

 ベッキーは、下着メーカーのオーディションで来たんですよ。友人の下着メーカー社長に審査員を頼まれて。下着モデルですから、20代以上がほとんどなんだけど、その中に14歳のベッキーがいた。これは面白いと思ったんで、優勝はできなかったけど、急遽「サンミュージック賞」をつくって受賞させました。

 下着モデル! お宝情報ですね(笑)。僕は一度、会長が審査員をされたオーディションに審査員のひとりとして参加したことがあるんですが、会長は履歴書を見て、「この子とこの子」ってパッと決めるんですね。そういう方は初めてでびっくりしました。あれは直感ですか?

 直感だけですね。

 それに、芸能スクールを全国的に展開されてますよね。倉木麻衣がスクールにいたとか。

 大塚愛も、いたんですよ。

 サンミュージックが、Jポップの歌姫たちを育てたようなもんですね。浜崎あゆみも、かつては所属してましたしね。

 ええ。みんないい子でしたねえ。昔は、道を歩いてて「いいな」と思ったら声をかけてたんですけど、だんだんそういう機会がなくなってきました。でも、スクールで1~2年レッスンをすると、つぼみがフーッと開くところが見えることがあるんですね。ああ、これは売れるかもしれないと。塚本高史なんかもそうですね。

 安達祐実さんは、どうですか?

 彼女は10歳のとき、お母さんとここに来たんです。そのとき、お母さんのほうがベラベラしゃべってて、彼女がお母さんを制止したんです(笑)。10歳の子がですよ。すごいなと思いました。

 安達さんは、“できちゃった婚”をしてしまいましたね。しかも、ホリプロのコメディアンと。

 堀(威夫・ホリプロ取締役ファウンダー)さんから僕に、「ごめんね」って電話がありました(笑)。僕は「いい子を紹介してくれたね」って。祐実ちゃんが好きになった子なら、いい人だと思ったんですよ。

 記者会見は、どちらが仕切ったんですか? 大手プロ同士、メンツがあるから、もめることもあると聞きますが。

 男性側が仕切るのは当然なんですけど、うちはうちでかわいさもありますから、「金屏風を立てて、ちゃんと記者会見したい」と堀さんに頼みました。

 今、息子さんが社長を継いでおられますが、帝王学をお教えになったんですか?

 いや、ないです。彼は僕のやり方とは違います。5~6年前にお笑いをやりたい、って言ってきて、僕は「芸人には、人間的にいいのがいない」と思ってたんです。ところが、(カンニング)竹山にしてもヒロシにしても、みんなまじめ。そういうやつもいるんだっていうことを息子に教えられて、あとは委せるようにした。今はホストの城咲仁やヘアメイクのTAKAKOまで連れてきて、僕とは違う感覚をもってますね。

■法子にいい話が来るのは、ユッコが見てるからかな

 今年も岡田有希子さんの命日である4月8日には、岡田さんが亡くなられた、このサンミュージックが入るビルの前に200人くらい集まりました。僕も毎年、手を合わせに伺うんですが、ファンはもう中年になっていたりで、わりと和やかな雰囲気でした、岡田さんがご存命なら、39歳ですね。

 ユッコも、かわいそうにねえ。僕はここ(会長室)にはタレントの写真を飾らないことにしてるんですが、ユッコだけは飾ってある。「おまえは永久にうちのタレントだから」って。

 毎年、命日にビルの前でお見かけする若い女性に話を聞いてみたんですけど、「今でも毎日、岡田さんの曲を聴いている」って言っていましたね。それと、13回忌のときに開かれた「岡田有希子展」に行って、中学校のときの通知表を見て仰天しました。4が1個くらいであとは全部5。

 あの子はね、うちのタレントの中でも、特に繊細な子だったですよ。この(会長室にある)写真のサインね、4月5日になってるんです。自殺の3日前。彼女は4月から一人暮らしを始めたばかりで、5日に僕の家に来た。そのときに、明るい話はしてるんですけど、どこかいつもと違う。なんか考えてるみたいなところがあった。それで、「おまえがこれからうちの会社を背負っていくんだから、がんばらなきゃだめだよ」って励ましたら、彼女は「あとにいい子がいるじゃない」って、当時うちに住み始めたばかりの法子のことを言うんですね。それで「じゃ、法子にサインやってくれよ」って、写真パネルにサインをもらったんです。それが、先ほどの写真ですよ。で、それから3日後に……。今でも法子にいい仕事が来るのは、「ユッコが見てるからかな」と思うことがある。子どもがいるからレギュラーは無理だろうと思っていたら、今春からドラマが始まったし、日中親善大使になったり。

 スターって、星ですよね。星は太陽の光を反射して光る。でもサンミュージックは太陽(=サン)だから、自分で、発光してる。だけど、太陽には太陽黒点という黒い点もある。それも含めて光にしちゃう会社。それがアイドル評論家としての、僕のサンミュージック論です。サンミュージックは、僕らのようなライターに対してもやさしいですしね。他のプロダクションには、何か書いたらすぐ内容証明を送ってきたりするところもあるようです。

 僕はね、「黒いものは、きれいな黒に書け」という理論なんですよ。どうせ斬られるなら、「せめて、こういう書き方はできないだろうか?」って頼むんですよ。そうすると、向こうもわかってくれる。敵こそ、ちゃんと付き合わないと。それと、できるだけ若い人と付き合うようにしてる。まだ会社に入ったばっかりの子だとなかなか話が通らないけど、10年経てば偉くなるんだもん。偉い人とばかり付き合っていたら、10年後には友達がいなくなって、自分だけ雲の上になっちゃう。だから、これからも、いろいろとかわいがっていただければ……。77(歳)になってあれなんですけど。

 77歳ですか。お変わりになりませんよね。こんなあけっぴろげな会長は、ほかにいませんよ。

 だから儲からない(笑)。お金に細かくなれば儲かるかもしれませんけど、僕は自分の好きなものを手がけたいから。いいものには後から金がついてくる。難しいですよ。誰でも、そううまくいくわけじゃないからね。今、ジョンリっていう18歳のシンガーソングライターを手がけてるんです。英語がペラペラで、15歳のときにバークレー音楽院のサマープログラムで作曲を習ってきたという子。彼女のブログを見ると、幅広い年齢の人が感想を書いてる。彼女は、きますよ。バラードがいいですよ。

 すごいですね、77歳で新しい子を手がけて、ブログをチェックして……。

 この子で、マネージャーをするのは最後かな。

最終更新:2013/05/24 15:22
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