『考える練習』発刊記念インタビュー 小説家・保坂和志が語る「文学とお金、そして革命」
#インタビュー
川又(編集) したいことをしたい人は大勢いると思うんですけど、みんなそこに踏み切れない。踏み越えられない一線が見えてしまうような気がするんです。幻影かもしれないですけど……。
保坂 それは、そういうふうに社会が教育しているから。労働力確保のために。みんなよく働きたいとか働く権利とかいうけれど、それは自分がしたいことの範囲でしかないでしょ? いよいよ職がなくなって働きたいっていうけど、それは意味がちがうじゃん? 本当は働きたいんじゃなくて、給料がほしいってことじゃん?
うちの近所のスーパーにめちゃめちゃ感じのいい人がいるんだよ。レジを打ってる人なんだけど、みんながファンなの。お母さんに手を引っ張られた幼稚園児まで、その人の名前を呼びながら、手を振ってスーパーに入ってくるんだよ。レジを打ってるだけなのに、みんなを虜にするほど感じがいいんだよ。
それからうちは本棚の代わりにトランクルームを借りてるんだけど、その管理をしているおじさんは誰が出入りするときでも必ず挨拶するし、ヒマなときにはトランクルームの近くに花を植えてるんだよね。ほんとにちょっとしたスペースにさ。
そういうふうに、ルーティーンワークのなかに自分なりの工夫をしていると、気持ちをどんよりさせないよね。それはやっぱり自分の努力というか、根本的な生き方の問題なのかもしれないけどね。ただし、そういうふうにしていると、まちがいなく別の道が出てくるんだよ。労働時間をいかにお金のためじゃなくするか。自分で面白くするかということが大事なんだよね。お金の問題って、実際にはものすごく大変なんだけど、お金のために働く、というふうに考えるから大変になってしまうと思うんだよ。
一番大雑把な予想でいうと、近い将来にすべての労働人口は吸収しきれなくなって、働く場所はなくなると思う。じゃあ、働く場所がなくなったらどうするか? 限界集落に行って、農業をするしかないと思う。昔、仕事のない人は開拓団で北海道へ行ったり、ブラジルへ行ったりしていたんだよ。そして農業で自給自足に近い生活をしていた。でも、もしも自分はとてもじゃないけど農業はできないなと思ったら、根性を出して自分のやりたいことをやるしかないんだよ。
これまでは特にやりたいことがない人はサラリーマンをやれて、そういう時代が長く続いたから、企業に入るというのが「安定」ってイメージになっちゃったんだけど、もうそんな時代ではないんだよね。だからお金のためではなく、やりたいことをやる。そのためには根性出すしかないんだよ。工夫したりさ。休みだなんだのって言ってられないわけで、それができない人は農業やるしかないんだよ。がんばって身体使うしかないんだ。知恵を出せないやつ、頭で汗かけないやつは身体で汗かけ、というと一代で成り上がった経営者の社訓みたいだけどね。でも、それしかないんだよ。
ワーキング・プアとか雇い止めが大変だとかいってるくらいだったら、限界集落へ行って農業やったほうがいいんだよね。そういう農村へ行くと昔から農業してる人がたくさんいて、食い物だけはくれるよ。限界集落っていうのは、どういうところかっていうと、もともとは落武者がつくったんだよ。全部じゃないだろうけど、もともとの集落のそのまた奥に作ったような村なんだから、そういうところは多い。そういう屈強な人たちが切り開いた土地に十何代か二十何代か住んでて、最後は都市に人がとられて、いまは老人しか残ってないけど、もともとは屈強な人たちが切り開いた土地なんだ。だけど老人だけになったら、そんな村がやっていけるわけがないんでね。
ただしネットの前で何時間も時間がつぶせるような人間に、いきなりお前には農業しかないよと言われても彼らはできないわけで、これは大人の責任だと思う。だからこそ、これは社会問題なんだけどさ。だけどやっぱり「本も読みません、運動もしません。趣味はパソコンです」みたいな人たちに対して僕はフォローしきれないよ。僕が相手にしてるのは社会問題じゃないからさ。たとえば学校と戦うためにロックを聞いている。すこし前ならブルーハーツに反応するやつみたいな。彼らを一歩踏み出させることはするけど、それもわからないやつらのことはやっぱり僕は関係ないよ。そこまでいったらウソになるから。
■お金がある人はない人にあげらればいい
川又(編集) 社会を変えるための道具として革命があると思うんですが、保坂さんは革命を信じてらっしゃるんですか?
保坂 信じてるよ。20世紀の革命とは違うけど、それは自分がやらなきゃいけないとも思ってる。
川又(編集) いま、「革命」たるものはなんだと思いますか?
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