『考える練習』発刊記念インタビュー 小説家・保坂和志が語る「文学とお金、そして革命」
#インタビュー
■素人のカラオケはうまいほどつまらない
――小説を書く時とエッセイを書く時の区別はどうお考えですか?
保坂 小説やエッセイに区別はないと言いながらも、本人としては小説を書くときの呼吸みたいものがある。エッセイというのは何かを言うための説明なんだよ。すごい遠回りだったりするけどね。ところが小説は、最後にたどりつくべき最終地点までの道のりがすごく遠くてかまわないし、書いてるうちに最終地点のことは気にならなくなってきちゃう。だからいま書いてる前面だけが気になるというか。どこか外へ出るために山や地中に穴を掘ってるんだけど、穴を掘っているうちに、掘っていること自体に集中しちゃうっていうイメージが一番わかりやすいかな。
――書いている数行先は予想できないということですか?
保坂 少し先まで考えていても、途中で道がずれるということはよくあるよ。この場面でこういう会話をさせようとかと思って場面をつくっても、そこにたどり着くころにはもう自分では飽きてるんだよね。だから、この場面でこれを書こう、ということはたえず頭をよぎってるんだけど、まあ書かないだろうなと思いながら書いてるんだよね。
――小説が小説たりえるための条件とはなんですか?
保坂 横浜出身のMay J.って女の子の歌手がいるんだけど、彼女はカラオケがめちゃくちゃうまいの。最近は1音1音原曲のメロディと照合して点数を出すカラオケがあるらしくて、テレビでそのカラオケ使ってMay J.が歌うと、たとえば宇多田ヒカルのメロディラインを完璧にトレースできたりする。それですごく感心したんだけど、すぐ飽きるんだよね。
というのは、宇多田ヒカルはたまたまそう歌った、ということなんだ。その歌にするためにね。本人が感じたように歌った、ということなんだけど、それを真似しても、真似するというのは違うんだ。それは歌じゃなくて、あくまでカラオケでしかないわけ。歌がうまいっていうのは、カラオケのようにトレースできる能力のことじゃないからさ。たしかにうまいんだけど、面白みがない。だいたい素人のカラオケって、うまいほどつまらないよね。May J.のカラオケもそれに近いものがあるね。
小説も同じことで、宇多田ヒカルの曲をきれいにトレースできても、それは小説にはならないんだよ。
■お金を選んでも、どうせ途中で裏切られる
──この本(『考える練習』)で、お金中心の考え方から抜け出すということをおっしゃられていますが、ここに同席している編集者の川又は「家賃を払うのはおかしいことだし、払いたくない」と思っているそうです。
川又(編集) しゃしゃり出てきてすみません! それで、だからあるとき大家さんに、「なんで家賃払わなければいけないんですか?」と聞いたら、「それは法律で決まっているからだよ」という説明をされて、それには納得できなかったので、部屋を引き払ったんです。いかにお金のしがらみからいかに抜け出すか? その実践をしようと思っていますが、何かアドバイスがあれば教えていただけますか?
保坂 (笑)。いま同人誌が多いじゃない。そのなかで現代音楽をやっている一柳慧にインタビューしている「アラザル」という雑誌があって、あの人がいた50~60年代ニューヨークに、一生働かないと決めた人がいたらしいんだよ。アメリカ人で。その人は当たり屋みたいなことをしてお金をもらっていたっていうの。でもお金ってさ、お金のために働いてお金が入るとは限らないんだよね。好き勝手してお金が入ってくる人もいるんだよ。
たとえば25歳で就職して働き出すと、それから30~40年間、会社で働くことになる。いま社会に流布している考え方は安定志向で、将来的に安定した会社にというけれど、30年間も安定している会社なんてないよ。そんな長期間安定している業界自体がないんだよ。だから安定とか生涯賃金を計算して、好きでもない仕事に就くって、こんなバカげた話はないんだよね。お金を選ぶかしたいことを選ぶか、どっちにするかといってお金を選んでも、どうせ途中で裏切られるんだよ。だからしたいことをしたほうがいい。
サイゾー人気記事ランキングすべて見る
イチオシ記事