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萱野稔人の"超"現代哲学講座

TPPの是非は経済効果だけでは決められない 国家に対して農業が果たす役割

【サイゾーpremium】より

──国家とは、権力とは、そして暴力とはなんなのか……気鋭の哲学者・萱野稔人が、知的実践の手法を用いて、世の中の出来事を解説する──。

第33回テーマ「経済効果で図れないTPPの是非」

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[今月の副読本]
『経済学に何ができるか』
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 TPPをめぐる議論が激しくなってきました。3月15日に安倍首相がTPPの交渉に参加することを正式に表明したからです。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)とは、太平洋をかこむ国々が輸入品にかかる関税などをなくすことで、モノやお金が自由にゆきかう経済圏をつくろう、という取り組みのことです。現在の交渉参加国は、アメリカやオーストラリア、カナダ、メキシコ、シンガポール、ブルネイ、ベトナムなど11カ国です。安倍首相の交渉参加表明は、この11カ国に日本も加わろうということですが、今後このTPPがどのようなかたちで発効することになるのか、そして日本ははたしてTPP加盟国になるのかどうかは、まだまったくわかりません。というのも、まず、現在の交渉参加国のあいだでそもそもどのような議論がなされているのかが、これから交渉に加わろうとする日本には明らかにされていないからです。さらに、TPPに参加すべきか否かをめぐって国内の意見が大きく割れているからです。与党の自民党のなかですら賛否が激しくぶつかりあっているほどです。読者のなかにも、参加したほうがいいのかしないほうがいいのか、考えあぐねている人は少なくないでしょう。

 TPPに参加すべきだと考える人たちは、それによって経済が活性化し、日本の経済成長につながると主張しています。たしかに自由貿易圏をめざすTPPに参加すれば、いまより海外への輸出がしやすくなります。また海外から日本への投資も増えるので、それによっても雇用が新たにうみだされるでしょう。さらには、農産物を含めた安い生産品が日本に入ってくるので、消費者は安く商品を買うことができるようになりますし、生産する側も外国製品との競争に負けないために生産性を向上させたり、新しい商品を開発したりするよう努力するでしょう。

 とはいえ、こうした経済効果はじつはTPPのひじょうに限定された側面にすぎません。安倍首相の交渉参加表明と同じ日に政府が発表した試算をみてみましょう。それによると、TPPへの参加によって日本のGDP(国内総生産)は10年後に年間3・2兆円増えます(TPP交渉に参加している11カ国のあいだで関税がなくなったと仮定した試算)。現在の日本のGDPは500兆円弱なので、TPPに参加しても10年後に0・66%しかGDPは増えない、ということです。TPP参加によって日本に経済成長がもたらされるといっても、実際にはそれはわずかでしかないんですね。たとえ海外製品との競争が激化することで日本の産業構造の転換やイノベーションがすすむかもしれないとしても、推進派がいうほど実りあるものにはならないのです。

 なぜこうなるのかといえば、日本が国際競争力をもっている産業の関税はすでにとても低くなっているからです。たとえばアメリカの乗用車輸入の関税は2・5%です。たとえTPPによってこの関税が撤廃されたとしても、それほど大きな影響はありませんよね。日本を除いた11カ国のなかでアメリカが占めるGDPの割合はだいたい85%ぐらいです(輸入額の割合だと70%ぐらい)。つまり、日本がTPPに参加しても、そこでの輸出の大部分はアメリカへの輸出が占めるということです。ですので、TPPによって乗用車の関税が撤廃されても、それによって日本の自動車輸出が大きく伸びるというわけではないのです。むしろ為替で1ドル80円になったり100円になったりするほうが、輸出にとっては影響が大きいのです。

 このことは何を意味するでしょうか。それは、TPPに参加すべきかどうかという問題は数字であらわれる経済効果ではなかなか判断できない、ということです。これはTPPによってもたらされるマイナスの効果についてもいえます。先の政府の試算によると、日本がTPPに参加すると、日本の農業生産額は数年後に3兆円ほど減ります。このマイナス3兆円という数字も、日本のGDPからすれば0・6%程度で大した額ではありません。要するに、経済成長するかしないか、数字のうえで経済効果がどれぐらいあるか、という問題はTPP参加の是非を考えるうえでそれほど本質的な問題ではないのです。

 ただし、農業生産額3兆円減という数字は日本の農業にとっては決して取るに足らない数字ではありません。というのも、日本の農業生産額は全体でも11兆円ほどしかないからです。農業はもともと日本のGDPの2%強しか占めていないんですね。11兆円ほどしかないところに3兆円も減ってしまえば、日本の農業は壊滅的な打撃を受けることになるでしょう。たとえばTPP加盟によって砂糖はすべて外国産に置き換わってしまうと考えられています。

 したがって問題は、10年後の3・2兆円の経済効果とひきかえに農業が壊滅してしまうことをどのように評価するか、ということになります。この場合、生産性がもともと低かった農業分野は淘汰されても仕方ないだろう、と考えることはもちろん可能です。しかし、農業は農産物を生産するだけでなく、それをつうじて環境保全や国土整備という役割をも担ってきました。ちょうど林業が衰退すれば、山が荒廃し、山の保水力が落ちて、土砂が流出したり洪水が起こりやすくなったりするように、です。そうした農業の役割は数字上の生産性や国際競争力ということだけでは決して評価できません。

 次のような意見もあります。日本の農業は国際競争力が低いのだから、日本は工業製品などの生産に特化して、食料は輸入したほうが効率がいい、という意見です。これもしばしばTPP参加の是非をめぐってだされる意見です。とはいえ、この意見もまた重要な点を見逃してしまっています。農産物の国際市場がどのようになりたっているのか、という点です。

 農産物のなかでもとくに基本となるのは、コメや麦、トウモロコシや大豆といった穀物ですが、それら穀物の国際市場には、各国で国内需要が満たされたあとの残りしか供給されません。どの国も自国民への食料供給を最優先するからです。だから各国は、不作などで穀物の生産量が落ちると、輸出税を課したり輸出を禁止したりして、穀物が国外市場に流出しないようにするのです。逆に、豊作などで穀物が国内需要よりも多く生産されて余ってしまうと、輸出補助金などをだしてその価格を下げて、余った穀物を国際市場で安く処分できるようにするわけです。

 したがって、もし日本が食料の供給を輸入に頼ってしまうなら、世界的な不作などがあったとき、そもそも他国に農産物を売ってもらえないということだってありえるのです。食料の貿易においては輸出国が圧倒的に有利なんですね。事実、GATT(関税および貿易に関する一般協定)のウルグアイ・ラウンド(1986~94)では、農産物の輸入数量制限は撤廃されましたが、日本が主張した輸出数量制限の廃止は認められませんでした。それぞれの国は、輸入量は制限できないが、輸出量は制限できる、というふうになったんですね。農産物の国際市場では、あらかじめ不作のさいの供給保証をしてもらえばすむ、なんて能天気なことは通用しないのです。

 この非対称性をどこまで解消できるかがTPP交渉における鍵となります。TPP交渉でおそらく日本は農産物輸入の関税の撤廃か大幅引き下げをせまられるでしょう。そのときに輸出制限の廃止や輸出補助金の廃止をルール化できなければ、日本はたいしたことのないGDPの増加とひきかえに食糧安全保障を大きく損ねることにならざるをえません。先に、TPP参加の是非は数字上の経済効果ではわからない、といったのはまさにこのためです。TPPに参加するということは、多国間のあいだで経済上のルールをつくるということです。しかしそのルールは、数字上の経済効果ではあらわしきれない水準のものなのです。

かやの・としひと
1970年、愛知県生まれ。03年、パリ第十大学大学院哲学科博士課程修了。哲学博士。津田塾大学准教授。主な著書に『国家とはなにか』(以文社)、『カネと暴力の系譜学』(河出書房新社)、『権力の読みかた』(青土社)など。近著に『最新日本言論知図』(東京書籍)、『新・現代思想講義 ナショナリズムは悪なのか』(NHK出版新書)など。

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最終更新:2013/05/11 09:30
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